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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

言葉の力

第50号 2006/03/16(Thu)
こぐま会代表  久野 泰可

 次期学習指導要領の原案に、確かな学力をつける基盤として「言葉の力」を据えていることを2月9日の新聞が伝えています。「言葉は、確かな学力を形成するための基盤。他者を理解し、自分を表現し、社会と対話するための手段で、知的活動や感性・情緒の基盤となる」と説明し、各教科にどのように反映させるかを具体的に示しています。国語力の育成と関連づけた、論理的思考力や表現力の重要性を強調しています。

 「ゆとり教育」を推進した文部科学省が、「脱ゆとり教育」宣言をしたわけですが、どうしてもっと早くから、今回のような方針が出せなかったのでしょうか。私は、こうした方針転換をせざるを得ない教育現場の現実があり、それだけでなく、そうした現実に立ち向かってきた、現場の先生たちの悪戦苦闘があったからこそ、論理的思考力や表現力の重視に傾いてきたのだと思います。つまり、文部科学省の答申が出たから現場が変わるのではなく、教育現場が変わってきたから、それを答申に盛り込まざるを得なくなったということが真実だろうと思います。

 なぜでしょう。論理的思考力の育成も表現力を高める試みも、教育現場ではずっと以前から行われているのです。それは、今の子どもたちに一番欠けている点だからです。ある小学校の先生が言っていました。「今の子どもは、何がしたいのかははっきり言えるし、答えも正確に出せます。しかし、なぜそれをしたいの。なぜそういう答えになるのという質問には、十分答えられない」つまり、結論はいうけれど、その結論に至るまでの過程や理由を言葉で説明できないということです。今の子どもたちの学力を高めるためには、論理性と表現力を養わなくてはならないのです。だからこそ、国語科の授業で論理的な文章を書く試みが数多くなされたり、算数の文章題における立式が重視されてきているのです。

 小学校受験も無縁ではありません。表現力を問う問題が増えたり、雙葉小学校の問題に象徴されるように、論理的思考力を問う問題が、「数の問題」だけでなく「話の内容理解」にまで出されているのです。こうした問題が入試問題として登場するということは、学内での授業が、そうした問題意識で行われているということの証であるのです。

 私が担当する年長児の授業でも、「言葉の壁」にぶつかることが最近多く見られます。数の問題を練習する際の設問の意味がわからなかったり、同図形発見の問題で、答えがあっている子に「どうしてこの絵とこの絵は違うの」と聞いても、どのように説明したらいいのかとまどったりしています。シーソーなどの答えの理由説明になればなおさら、きちんと説明できる子は少なくなります。「言葉の力」は、論理の力でもあるわけで、その論理を育てる教育をしなければ、受験にも十分な対応ができなくなってきています。

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