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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

今年の入試から何を読み取るか(7)
小学校入試で問われる学力とは何か

第472号 2015/2/20(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 教科書のない唯一の入試であり、かつ行動観察や面接試験が加わる、上級校の入試と違う小学校入試では一体何が問われているのでしょうか。入試ですから「学力の基礎がどれだけ身についているか」が問われていることは間違いありません。しかし、それだけではないことも事実です。ではいったい、求められる「学力」をどのように受け止めればよいのでしょうか。この点において、学校側と塾側が違った捉え方をしていたのでは合格できませんし、準備教育をゆがめていく結果になってしまいます。では、最近支持されている学力観とは、どのようなものなのでしょうか。中教審の答申等を見ていくと、学力には重要な3つの要素があることが明記されています。それは、

(1) 基礎的な知識・技能
(2) 知識・技能を活用し、自ら考え、判断し、表現する力
(3) 学習に取り組む意欲

一般的に学力という場合、(1)の「基礎的な知識・技能」を指すことが多く、その習得のためには詰め込みでもかまわないと考えている方々が多いのも事実です。しかし、現在行われている入試の出題傾向を見てみると、昔よく使われた「知能検査」的な問題はほとんどなくなり、(2)の「知識・技能を活用し、自ら考え、判断し、表現する力」を求める問題が多くなってきていることがわかります。特に、ここ2~3年の問題はそのような傾向にあります。また、(3)の「学習に取り組む意欲」は、手先の巧緻性や行動観察テストの中で問われるケースがほとんどで、実は行動観察の目的の一つは、学力の基礎を見ていると言っても過言ではありません。単に社会性や協調性を見るだけでなく、学力の基礎としての行動力、自立した判断力をこの行動観察で見ているとみるべきです。この「学習に取り組む意欲」こそ、我々がこれまで主張してきた「レディネス」の中心にあたるわけです。

最近の入試問題が、一見易しく見えても子どもたちにとって難しいのは、(2)の応用する力が求められているからです。以前別のところで「作業能力が求められている」と書きましたが、まさしく、自ら考え、判断し、表現するためには、どうしても避けられないプロセスなのです。

こうした応用する力を育てるには、ペーパー主義の教育では不可能ですし、ましてや解き方を教え込んで解決するものでもありません。やはり、物事に働きかけ、試行錯誤し、自ら解決に至ったという経験が必要です。そのための教育法は、「事物教育」以外にあり得ません。受験準備のための教育が、ほとんどペーパー授業で行われている現実があるからこそ「間違った受験対策ではだめだ」と主張してきたのです。それは、入試の実態にも合わないし、子どもの学力を正しく育てることにもならないからです。

現在の入試において、ペーパー試験を行わない学校もいくつかあります。具体物やカードを使った個別テストがある場合が多いのですが、それすら実行しない学校もあります。学力検査をしないで、学力がわかるのかどうか・・・という素朴な疑問を持たれる方も多いと思いますが、学校側は、ペーパーテストをしなくても「学力」は判定できると自信を持っています。つまり、幼児にとって活動面における問題解決能力は、結局のところ学力の基礎をつくっているとみていますし、実際、我々の日ごろの指導の現場においても、物事への取り組みや、具体的な場面での問題解決能力があるかないかの違いは、ペーパーテストにおいても正直に表れるということを経験しています。行動観察テストもその内容は多様化していますが、少なくとも具体的な課題に取り組む一人ひとりの様子はしっかり掴んでいるはずです。そうした広い視点で行動観察を捉えないと、「お行儀の試験だから、形だけしっかり身につけておけばよい」という、学校側が全く求めていない訓練を強要していくことになります。そしてそれこそが行動観察対策だと勘違いしている方々が大勢いることも事実です。こうした間違った考え方を1日も早く捨てないと、受験準備と称した間違った教育によって、子どもの正常な発達が阻害されていくという悲劇がたくさん起こってしまうのです。

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