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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

「幼児教育」ブームを考える

第374号 2013/2/1(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 先日ある方からこんな相談を受けました。「うちの娘に子どもが生まれ、すぐに何十万円もする高額な教材を買い込んだようです。娘のことですから口出しするつもりはないんですが、効果があるのでしょうか。」・・・この類の相談は良く受けます。もう5年も前になりますが、やはり同じように2歳になった子の父親から、「世界中の良い幼児教材を集めたセット教材が60万円以上で販売されていて、妻はそれを買おうと言っているのですがどうでしょうか。」私は、「そんなことの前に、生活の中でいろいろ体験できることをまずしっかりやって、それから継続できるものであれば、取り組んでみたらどうですか。」・・・こんな返答をしたのを覚えています。その後、お会いした時「どうでしたか。あの教材うまくやっていますか。」と尋ねたところ、「ほとんど使わないでほこりをかぶっている」というのです。良い教材といえども使わなければ何の意味もありません。

子どもが生まれたり、子どもが成長していく姿を見て、「良い環境の中で育てたい」という親心は当然です。その結果、たくさんの教育玩具や英語教材などを買い込んだものの、結局あまり活用しないで終わってしまうケースが良くあるようです。また、幼児向けの通信教育も盛んで、子どもを持つ若いお母さん方には、大変人気のようです。しかし、学習内容の善し悪しよりも、子どもが毎月送られてくる付録に興味を示しているので、やめるにも止められないし、テレビを見たりゲームをしているくらいなら、通信教材を与えておいた方が良い・・・と考えている家庭が多いようです。また、今後の通信教材は、先日新聞に記事が出ていたように、タブレットにコンテンツを入れて、ゲーム感覚で楽しむものに変わっていくかもしれません。

なぜ、こうした幼児教材や通信教材に飛びつくのでしょうか。それは、「賢い子に育ってほしい」という想いとともに、一方で「他人と比べて劣っていないか」「小学校に入って皆についていけるのか」という不安も根強くあるためです。子どもの知的な発達を測る尺度がほとんど何もなく、こうした不安を助長しているようにも思います。本来ならば、幼稚園や保育園に知的な発達に関する目安があればいいのですが、日本では昔から幼児期の知育を排除し、小学校へ先送りしてきました。幼稚園や保育園に子どもを預けていながら、知的発達に関して不安になり、通信教材を買わざるを得ない現状が、日本の幼児教育の今を物語っています。子どもの発達を安心して見守る尺度が示されない限り、不安にかられた母親の「教材購入」は、たぶん終わらないでしょう。そうした意味でも、知育を排除してきた保育園や幼稚園の責任は重いはずです。

幼児を対象とした「おけいこ」は、昔からたくさんありましたが、今は、知育に関するおけいこや教材教具の販売が花盛りのようです。その意味で、一種の幼児教育ブームが起こっているのかもしれません。過去にも何回かあった幼児教育ブームの中でも、井深大さんの「幼稚園では遅すぎる」(サンマーク出版)という本が火付け役になって、幼児教育のブームが沸き起こっていた事を印象深く思い出します。私が大学を卒業し、幼児教室の立ち上げに参加したころは、まさしくその幼児教育ブームの時でした。現在のブームは、テレビの影響が大きいと思いますが、一つは「幼児からの英語教育」、もう一つは「脳科学の成果を幼児教育に生かそう」という背景があるように思います。しかし、こうしたブームに便乗してしまって良いものかどうか。商業ベースで進められる幼児教育の在り方が、本当に子どもにとって良い環境作りにつながっているのかどうか、一度考えてみる必要がありそうです。

私は、40年間いわゆる「お受験」といわれる、小学校入試に向けた準備教育の現場に身を置いて実践者として関わり、同時に幼児期の基礎教育の在り方について研究してきました。子どもたちが毎日通う教室で、何をどう経験させれば子どもたちの学びの基礎を作ることができるのかどうか考え続けてきましたが、その観点から見ても、今の幼児教育ブームには大事な何かが抜け落ちていて、大変危険な状況であるといわざるを得ません。例えば、英語教育をいつから始めるべきかの議論については、やはり母国語である日本語、思考の武器として使う言語の習得をしっかりしてからでなければいけないと考えています。また、脳科学を応用した理論が幼児教育の在り方を支えていかなければならないと考えていますが、経験を通して実証することができない脳に関する理論は、時に教育に応用されると、「刺激と反応」の理論に陥り易く、そこから導き出される教育法があまりにも一面的であり、トータルな人間としての発達を考えた場合、問題が生じる危険性があります。

翻って、私が関わるこのお受験業界も、教え込みの「注入教育」が横行し、子どものまともな成長を阻害する危険をはらんでいます。合格さえすれば何でもOKとされる雰囲気の中で、「受験教育は特別だ」と隔離されてしまっているところに、間違った受験対策がはびこる最大の原因があります。しかし私は一方で、小学校受験は幼児期の基礎教育をしっかり行う最大の動機づけだと考えています。今の小学校入試で出される問題は、学校の先生方が苦心し工夫して作った、「考える力」を求める大変良い問題です。それは、まともな基礎教育によって解決する問題ばかりです。受験がなければ勉強しないというのは情けないことですが、しかし、親子ともども必死になるのは受験ですから、その動機を最大限生かし、幼児期の基礎教育にしっかり取り組めば、合否に関係なくその子の成長にとってはとてもプラスになることだと思います。

幼児教育をめぐる課題は、たくさんあります。

A) 英語教育は何歳から始めるべきか
B) 通信教育や幼児教材をどう活用すべきか
C) 脳科学の成果は、幼児教育にどう生かされるべきか
D) 「お受験」対策の教育はどうあるべきか
E) 「考える力」を育成する幼小一貫教育は、どのように組み立てられるべきか
F) 小1プロブレムの対策はどうあるべきか
G) コミュニケーション能力をどう高めるか

これらを解決する手立てを考える場合、大人の立場の議論ではなく、そこに子どもが成長していく視点が必要です。それが失われると、そこに「商業主義」の誘導が始まります。子どもがまともに成長していくプロセスを大事な視点としなければ、この危険な幼児教育ブームは、結果として子どもを潰していくことになってしまいます。人間の成長にとって大事な時期だからこそ、「子どもはどのようにものごとを理解し、発達していくのか」といった視点を忘れてはいけないと思います。

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