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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

「経験を通して、学びの基礎をつくる」

第729号 2020年7月17日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 前回のコラムでご紹介したお料理レシピ本に続き、「社会常識」の単元で学習した「標識」についても、教室で学んだ翌週に、子どもたちがお母さまと一緒に調べた「身近な標識」について、写真を撮ったり、自分で絵を描いたり、切り取って張り付けたりした「調べ学習」ともいえる制作物を私のところに持ってきてくれました。授業の最後に「みんなの周りにどんな標識があるか調べてきてね」という私の問いかけに答えてくれた結果です。保護者の方の導きもあったことだと思いますが、教室を飛び出して実際の生活の場から学びを確認するという方法が、幼児でも可能であることを教えてくれています。



知識の蓄積としての学びだけでなく、実際の生活の場にそれを下ろしていくというダイナミックな学びは、ペーパーだけで分かったつもりになっていく子どもが多い受験勉強の在り方に疑問を投げかけています。こうした「調べ学習」は、社会の一員として、自らの経験を通して社会の仕組みを理解するきっかけになっていくはずです。前回ご紹介したレシピ本も、お手伝いの中で一番人気の「お料理作り」の経験を絵本風にしたものに記すことを通して、料理をする「順序」の意味や、「材料」と出来上がった「料理」の結果を関係づけることの意味を考えると、広い意味でのプログラミング教育の一つとして考えることができるのではないかと思います。

幼児期の基礎教育をどのように行うべきかは、日本の場合まだまだ実践の蓄積が少なく、「遊びを通して学びの基礎をつくる」としか言いようのないのが現状です。しかし、教育は具体的でなければなりません。日本の幼児教育も、最近になってようやく将来の学びを意識した教育を考えなければ・・・と「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」が提案されましたが、私たちからすれば、それすらも極めて抽象的な言い回しに終わっているとしか思えません。だから最近では、それは目標ではなく望ましい姿だなどと言い始めています。このあいまいさが、これまで日本の幼児教育を世界の流れから遅らせてしまう一因となり、東南アジアの諸国からも「日本の幼児教育は理想的だが、そんなやり方では国の将来を担う優秀な子どもたちを育てることはできない」とはっきりと言われてしまっているのです。わたしが香港・韓国・中国・ベトナム・シンガポールなどで講演し、現地の幼児教育関係者にお会いした際に言われたことは、「知育を軽視する日本の幼児教育ではだめだ」ということです。どの国でも同じように言われてきました。中国やシンガポールはやや行き過ぎた感もありますが、意図的な教育は生まれた瞬間から・・・という考え方は、どの国でも徹底しています。

日本でも、ソニー創業者の井深大氏が『幼稚園では遅すぎる』(サンマーク文庫,1971)と幼児教育の大切さを50年近く前に訴えているのに、幼稚園・保育園は見向きもしないで、「知育は小学校に入ってから・・・」と避けてきたのです。しかし5年ほど前に、ジェームズ・ヘックマン氏が著書『幼児教育の経済学』で「5歳までの教育が人間の一生を左右するかもしれない」と主張されて以降、やっと知育の重要さを認識し、新しい取り組みを始める幼稚園・保育園が増えてきているように感じます。その多くが、インターナショナルスクールであったり、異業種からの参入で「教育」を最初からビジネスととらえ、目標を掲げて徹底した教育を行おうとする民間の教育業者です。昔から続く保育園や幼稚園が変わらなければ意味がないと思っている私にとって、いつになったら変革の兆しが見えてくるのかと残念でなりません。そのうえ、意図的な教育であればあるほど、幼児期の子どもたちの生活とかけ離れ、便利なツールを使って「知識を教え込む」教育に集中しているのが現状です。例えば、一番生活と密着しなければならない「数」の教育も、生活とかけ離れた「数字」の世界で、計算力を高めようとすることを目標にしているため、いわゆる文章題における「立式」ができないのです。具体と抽象の世界を結びつける手立てを持たなければ、何のための学びなのでしょうか。

幼児期の基礎教育は、五感を通した教育でなければなりません。また、教師や友だちといった生身の人間がそこにいてこそ、初めて意味のある「学びあい」の教育が成立するのです。対話を通して進む集団学習が子どものやる気を引き出し、目標に向かって協力し合える人間関係を生み出すことができるのです。教室で語りかけた教師の一言が子どもを突き動かし、子どもが身の回りの生活に関心を持って自ら進んで「調べ学習」ができることが証明できたことは、今後の私たちの指導にとって大変意味のある経験だったと思います。


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