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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

「学校はどんな子どもを求めているのか」

第725号 2020年6月19日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 小学校入試の試験内容や試験方法、合否判定の仕方が上級学校の入試と違うということは、多くの皆さまがご承知のことと思います。しかし、受験に臨む保護者の皆さまの中でも、上級学校の入試と同じだと考えている方が大勢いらっしゃることも事実です。その典型が「ペーパー試験で高得点を取れば、上から順番に合格が決まっていく」という考え方です。ですから「この模擬試験で何点を取れば小学校に合格できますか」「このペーパー試験で何点以上取れば、合格可能性が80パーセントになりますか」・・・といったように、自分が経験してきた入学試験と同じように、小学校入試の合否の在り方を考えている方が多いことに驚きます。その上、都合が悪いことに学校側から小学校入試の詳細についての情報開示がほとんどありません。何をどう学び、どんな能力を身につけていけばよいのかも分かりません。教科書もありません。ですから情報を何処に求めるかといえば、通っている教室の先生を頼りにするしかないのです。しかし、幼児教室から流される情報の多くは、根拠のない教室運営に都合の良い情報ばかりです。

「ペーパーテストで90点以上取らないと合格できません」「今度の模擬試験で偏差値60以上でないと合格できません」「夏の講座はこれだけ取らないと合格できません」「模擬試験でこの問題が解けないと合格できません」・・・といった具合に「合格できない理由」を並べ立てて叱咤激励するのです。「学校側が何を求めているのか」「少ないペーパーで何を問おうとしているのか」「難問の出題根拠は何なのか」「行動観察で何が求められているのか」・・・そうした問いに対して、学校側がどう考えているのかという分析もないまま根拠のない情報を流し、保護者同士を競わせ、教室につなぎとめておくのです。その最たるものは「毎日ペーパーを50枚やらないと合格できない」「過去問は年中児から繰り返しやらないと合格できない」「こぐま会のひとりでとっくんを、3歳ごろから最低繰り返し4回ぐらいやり、年長のはじめまでにすべて完了しておかないと合格できない」「20年間の過去問を繰り返し10回やって解き方を徹底して叩き込んでおけば合格できる」・・・それを信じて、毎日楽しくもないペーパーをこれでもか、これでもかと与え、子どもを追い込んでいくのです。楽しいはずの学習をつまらないものにし、子どもたちの笑顔を大人が奪っているのです。こうした学力中心の入学試験を小学校側が望んでいないからこそ、行動観察があり、三者面接があるのです。これまで大勢の学校の先生方や校長先生、試験担当の先生方ともお話しさせていただきましたが、誰ひとりとして、11月に行われるペーパー試験の結果で合否を判断しようと考えていらっしゃる方はいません。仮にペーパー試験で100点を取っても、合格の保証はどこにもありません。なぜでしょう。学校の先生方の多くは、11月の学力試験の結果がそれ以降の学力を保証するものではないとはっきり考えているからです。点数化された試験の結果ではなく、どのように取り組んだのか、将来伸びていく芽はあるのだろうかというように、さまざまな取り組みの結果を見て、将来伸びていく可能性、その芽があるかないかを見ようとしているのです。笑顔の見られない子どもらしさを失った子どもに、将来の育ちを見ることはできません。形になった今の結果を見るのではなく、その先にある「子どもの未来」を見ようとしているのです。ここに行動観察を重視する理由があるのです。だからこそ私はこれまで、行動観察において学校側は「できた - できない」で評価しているのではないと繰り返し主張してきたのです。私はだいぶ以前に「間違いだらけのお受験」という本を書きました。また、毎週更新するホームページのコラムにも、15年間にわたり入試の現状と間違った受験対策のあり方に警告を発してきました。こうしたことに少しでも意味があったのか、最近になって多くの塾で事物を用いた学習を取り入れ始めています。まだまだその日の学習のカリキュラムもなく、ただひたすらペーパーをこなすだけの指導が多いようですが、それでも以前に比べ、ペーパー学習の前に事物を使った学習を取り入れているところが多くなってきたように思います。20年以上訴え続けてきた「事物教育の重要性」がやっと認められてきたということでしょうか。

ところで、学校側が求めている子どもとはどんな子でしょうか。それが明確になれば受験対策も目標がはっきりして取り組みやすいはずです。48年間の実践を振り返ってみると、受験の内容や方法は、時代を反映して変遷してきました。知能テストが試験の中心であった時代、大量のペーパーを課していた時代、行動観察が重視されるようになった時代・・・それぞれの時代によって、望ましいとされる子どもの姿も変遷してきました。リーダーシップが取れる子が望まれた時代もありましたが、震災を経験した今は人間の評価も変わり始めました。「多様性」を重んじる時代にあって、入試において表現されるかけがえのないさまざまな個性を重んじるようになってきたように思います。ですから、こういうタイプの子どもが有利ですよ・・・といったことを言えるような時代ではなくなりました。毎年11月の入試の結果がでると、「どのようなタイプの子が合格しましたか」と質問されることが多くなりました。こうした質問に対し「自分で考え、自分で判断し、自ら行動できる子ども」が評価されているといった言い方をしてきました。それは、あまりにも抽象的で分かりにくいかもしれません。また学習面では「違った観点に立って物事を見ることができる子ども」と表現したこともあります。それは、人間関係の中では「他者の立場に立って物事を考えることができる子ども」という意味でもあるのです。やや抽象的な言い回しですが、しかしそう表現することが今の入試結果に一番合っていると思っているからです。

先日ある女子校の校長先生の講演の後、参加された方から次のような質問がありました。「どんな子どもであって欲しいと思いますか」という質問に、校長先生は「仲直りができる子」と、何の迷いもなくはっきりおっしゃっていました。具体的に分かりやすい「仲直りできる子」という表現の中に、さまざまな思いが詰まっていると直感したのは私だけでしょうか。この表現を私は次のようなメッセージとして受け止めました。
  1. 自己主張はしっかりできる子になってください
  2. 他者の言い分もしっかり聞いてあげられる子になってください
  3. 言い争ったり喧嘩になった場合、自分に過ちがあると気付いたら、正直にそれを認めて謝り、仲直りできる子になってください
  4. 過ちを認めて謝罪したことを受け入れられる、優しい心を持つ子どもになってください
子ども目線の「仲直りできる子」は、非常に分かりやすい反面、実行するには非常に難しいことでもあります。他者の立場に立つことができるかどうかということは、視点を変えてものをみることができるという思考力の発達に重要な課題でもあります。大人社会においても通用する大事な視点です。ぜひこの言葉の意味を噛み締め、日常生活の中で実践できるように工夫してみてください。

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