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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

「小学0年生構想は幼児教育改革のチャンス(2)
幼児期の教科書作りを目指して」

第723号 2020年6月5日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 6月に入って学校が再開し、学習塾の休業要請も解除されてこぐま会の教室も再開しました。3カ月近い学習の空白をどう埋めていくか、そして一方で第2波の感染対策もしながらの再開ですから、今までとは違った学校運営、教室運営が求められます。また、教育を止めない方法として、どの教育機関も試みた「オンライン学習」が果たして効果的な学習であったのかどうかも検証しなければなりません。子どもの反応がみられないことや、子ども同士の学びあいや対話教育が十分できない方法がこれからの時代の主流になっていくのは危険です。学ぶ主体に学びに向かう動機がはっきりしていればオンライン学習も効果がありますが、学びの動機付けそのものを工夫しながら授業を導入しなければならない幼児や低学年の子どもたちにとって、中学生や高校生と同じような「オンライン授業」が通用するはずはありません。教育を、知識の伝達・考え方の教え込みと捉えればオンライン学習は成立するかもしれませんが、幼児の場合はものに触れ、働きかけて「考える力」の基礎を育てなければなりませんから限界があります。オンライン授業をどう生かすかを考えた全体としての教育デザインが必要です。

ところで、9月入学に伴う「小学0年生」構想も、9月入学が延期されたことに伴い議論されなくなっていくかもしれません。しかし、せっかく盛り上がった9月入学議論は、将来のためにも継続していかなければなりません。その中で出された「小学0年生」構想を、幼児期と小学校をつなぐ教育課程の研究課題として受け止めていかなければなりません。特に幼児の場合、幼児教育の無償化との兼ね合いで、教育の質をどう深めるかを考えるきっかけにして欲しいと思います。また、新しく提案された「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」をより具体化するためにも、小学校とのつながりを意識した教育内容を考える必要があります。それが、「読み・書き・計算」の徹底だけではあまりにも貧弱な発想で、これからのAI社会を生き抜く子どもたちの学力を育てることはできません。9月入学議論や小学0年生構想は学校制度の改革ですから、当然学ぶ内容の検討も必要です。

「9月入学は、教育現場に混乱を引き起こすから・・・」という理由で先送りになりましたが、その混乱とは一体何なのでしょうか。そこをもう少し具体的に議論しないと、中味のない反対意見になってしまいます。大学への9月入学に伴う高校の教育課程だけでなく、9月入学に伴う入学年齢と就学前の教育内容が議論されなくては、いつまでたっても変わりません。これまでの教育課程そのものを変革する覚悟がなければ、9月入学はいつまでたっても実現できないでしょう。

「小学0年生」構想を耳にしたとき、私はすぐに小学校への就学年齢をどうするかという問題と、小学0年生の学習内容をどうするかという問題としてしっかり議論しないといけないと思いました。以前、日本でも就学年齢の1年引き下げ問題が起こったことがありました。その時世界各国の教育制度を調べましたが、今回もいろいろ調べていくうちに「小学0年生」のような制度を実際に持っている国があることが分かりました。イギリスでは、3歳から4歳までは日本の保育園にあたるNursery(ナーサリー)やPreschool(小学校附属の幼稚園)で過ごします。そして満4歳の9月からは、就学前教育としてPrimary School(小学校)のReception class(レセプションクラス)に通います。ですから「レセプション」の学年は、いってみれば小学0年生という位置づけになり、日本でいう年長クラスがそれに当たると考えていいわけです。そして、9月に5歳になっている子どもが小学1年生になるのです。5歳児就学の国は他にもあります。世界の就学年齢を調べてみると5歳から7歳の幅があり、平均は6歳のようです。5歳で就学するのは、イギリス以外にオーストラリア・ニュージーランド・パキスタン・マルタなどがあるようです。

5歳で就学か6歳で就学かには検討の余地がありますが、問題はそこで行う教育内容です。幼児から小学生につながる学習の系統性がどれだけ重んじられ、どんな内容になっているかということです。「読み・書き・計算」一つ取ってみても、現在の日本では幼児期に系統的に学ぶ内容になっていません。すべて小学校に行ってからとなっていますが、現実には家庭で「読み・書き・計算」の基礎を学び、就学前までにはほとんど本を読め、字も書け、簡単な計算ができるようになっています。しかし、それは幼児期の系統だったカリキュラムがあるのではなく、民間の教育機関や、市販されている教材を使って保護者が家庭学習として行っている結果にほかなりません。これを公の教育機関で行わなければいけません。イギリスの「レセプション」では、こうしたことをしっかりとしたカリキュラムと教材で専門的に指導しているわけです。今の日本に置き換えれば、年長クラスになると系統的な「読み・書き・計算」が指導されるわけですから、「小学校に入るまでには・・・」という保護者の方の心配もなく、小学1年生就学時には同じスタートラインに立つことができるのです。「読み・書き・計算」だけでなく、遊びを通して「考える力教育」もなされているはずです。私が「小学0年生構想」を幼児教育改革のチャンスにすべきだと考えているのは、就学年齢を何歳にするかという議論ではなく、入学前にきちんとしたカリキュラムで教育がなされ、その上で小学校の教育がなされるべきだと考えているからです。今のように、それぞれが通う園の判断で使うテキストもまちまちな状況を放置するのではなく、統一した幼児期の学びの教科書を作るべきです。日本で行われている現在の遊び保育が幼児教育の基本になるのは当然です。しかし、教科学習の始まる前の大事な幼児期に教科書すらない日本の現状は異常です。私は48年間の現場指導の総括として、「小学0年生の教科書」を作りたいと思っています。それは単に「読み・書き・計算」の基礎だけでなく、遠山啓氏の「教科前基礎教育」の考え方を具体化した「考える力」を育てるための教科書づくりです。これが私の最後の仕事になるかもしれません。

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