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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

幼児教育の低年齢化がもたらす問題

第678号 2019年6月14日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 「5歳までの教育が人間の一生を左右するかもしれない」と述べたジェームズ・ヘックマン氏の影響もあってか、いま世界中で幼児教育がブームになっています。国家レベルにおいても、また民間レベルにおいても、さまざまな試みが行われています。次代を担う子どもたちを幼児期からしっかりと育てることは大変重要であるし、やらなければならないことです。しかし、残念ながら現在の動きを見る限り決して好ましい動きになっていません。端的に言えば、低年齢の幼児教育がビジネスのみの対象になってしまっていることです。特に最近目立つ0歳から3歳までの教育が、母親を巻き込んでとても心配な方向を向き始めているということです。教育の専門家でもない人たちが起業し、派手な宣伝をして一挙に教室数を増やしていくような手法には、保育の質・教育の質をだれがどう保証するかという視点が抜け落ちています。「資金と場所さえあれば教室が開けます」という教室づくりには、そもそも最初から大きな問題を抱え込んでいるのです。それは子どもの指導に当たる教師の問題です。本当に子どもの発達を理解し、また施すメソッドの意図するところを理解して指導に当たっているかを考えたとき、促成栽培の人材ではとても担いきれないはずです。生徒さえ集めれば、日々の教育活動の質など振り返らなくてもいいと考えているのでしょうか。フランチャイズ本部が内部分裂を繰り返すのはなぜなのでしょう。だれもが簡単にできてしまうビジネスだからなのでしょうか。そんなものが乳幼児教室として流行ってしまったらどうなるのでしょう。実際、0歳から3歳までの教育に、今や「読み・書き・計算」まで盛り込まれているというから驚きです。その内容が読み・書き・計算につながる基礎的な内容であれば問題ありませんが、読み・書き・計算そのものを1歳児あたりから学ばせているところも多いようです。「幼児教育」の低年齢化が、一番やってはいけない「教え込み」の教育になってしまっているのです。そんな教育を担っている先生にもしお子さまがいて、母親だったらどうするのでしょう。わが子にも受けさせたいと思っているのか、それともこんな教育はわが子には受けさせないと思いつつ、仕事だからと割り切って続けるのでしょうか。

なぜ私がこんな言い方をするかといえば、海外から私のところにKUNOメソッドを導入したいと相談に見える女性の多くが、実はわが子を育てるのに、今自分の国で流行っているメソッドでは教育させたくないという想いが強く、それならば専門家を招いて自分で教室を開いてしまおうと考えていらっしゃるということです。ビジネス先行ではなく、最愛のわが子に最高の教育を受けさせたいと考えてのことなのです。身近にあるメソッドに信頼がおけなければ、自分でやるしかない・・・そう考えて、教室を立ち上げた例もあります。わが子に受けさせたい教育を自ら実践する・・・この当たり前の原則が必要です。そもそも商品化になじまない教育が、商品化される過程で多くの矛盾を抱え込み、わが子にはしたくないけれども仕事だから・・・と割り切って、教え込みの教育をしているケースがたくさんあるのではないかと思います。そして、生まれた瞬間から右往左往する母親の気持ちに便乗して、早く目に見えて効果が分かる教育、つまり読み・書き・計算に流れ込ませるのでしょう。

乳幼児期の教育は、例えばスイミングで10メートルしか泳げなかった子が、25メートル泳げるようになったというように、すぐに効果が見えるものばかりではありません。「考える力」の育成などは、相当な時間をかけて行うものです。しかし、早く目に見える形を求める保護者にとっては、読み・書き・計算が一番分かりやすいのです。字が読めた、字が書けた、たし算ができた・・・そのような成果を親自身が求めているからこそ、こうした教育が支持されていくのでしょう。わが子を他の子と比べて不安になってしまう結果、そうした動きになってしまうのでしょう。読み・書き・計算を否定するつもりはありませんが、その前にすべき大事なことがあるはずです。数年前に、幻冬舎から「子どもが賢くなる75の方法」という本を出版していただきました。この本は今でも大勢の皆さまに読まれているようです。本の帯の「読み・書き・計算はまだ早い」というフレーズに賛同され、心を動かされて購入していただいた方も大勢いらっしゃいます。

幼児期の教育の重要性が認識され、いろいろなところで幼児教育について議論されることは大変好ましいことです。ただそうしたブームに便乗して、子どもたちの成長に好ましくない内容と方法が展開されていきそうな雰囲気に、私は危機感を持っています。シンガポールの実情を見聞きしているからです。最近はあまり「英才教育」という文言は見られませんが、「早いほうがいい」という意味では、昔の英才教育と同じです。教育が商品化されていく過程で抱え込んでしまう矛盾をできる限り排除し、子どもの発達に見合った教育で、一人ひとりの子どもが賢い子どもに成長していけるような「乳幼児教育」になっていってほしいと願っています。

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