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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

遠山啓氏が提唱した「原言語」とは

第659号 2019年2月1日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 私が「KUNOメソッド」を構築するにあたり、繰り返し読んだ「歩きはじめの算数」(1972年・国土社刊)の中で、遠山啓氏は幼児教育の課題を次のように述べています。

この本でとりあげられている内容は、未測量にせよ、分析・総合にせよ、空間表象にせよ、すべて従来の学校でやっていなかったものばかりである。
 しかし、わたしたちは、このようなものこそ小学校の算数教育の始まる前に十分身につけておいてほしいものだ、と考えている。それは、従来の教科教育、とくに算数教育が始まる前に、その準備として、このような学習が必要である、と考えたのである。そういう性格をもったものを私たちは「原数学」とよんでいる。
 したがって、ここで実践されているさまざまな内容や方法は、一般の幼児教育にも役立つのではないかと、ひそかに期待しているのである。(まえがき)

また、別の場所では次のようにも述べています。

......教育がしだいに下降していって、もっとも根源的なものに到達し、ここを出発点として、両び〔原文ママ〕上昇することができたら、これまで教育不可能とされてきた障害児も教科教育が可能となるだろう。
 そのためには、いうまでもないことだが、従来の教科に対する固定観念を打ち破って、根源的なものに深く下降していく必要がある。たとえばこれまでのべたいくつかの指導法は、従来の数学という教科では行われたことのないものばかりである。このような分野を私は「原数学」(Ur-Mathematik)とよぶことにしている。
 これを他教科にまで拡張すれば「原言語」「原音楽」「原造型」・・・ともいうべき分野が新しく開拓される必要があろう。そしてそれらを総称すれば「原教科」という分野が設定できよう。これは人間の精神活動の萌芽形態を探究するためのもっとも興味深い分野となるだろう。」(p.20)

こうした考え方を参考に、私は20年以上にわたり、教室の現場で試行錯誤しながらカリキュラムと教材を開発してきました。振り返ってみると、将来の算数科に繋がる「原数学」の内容は、子どもたちの生活や遊びの中からテーマを探し、かなり充実した内容に仕上がっていると思います。それに比べ、「原言語」の内容はもう少し充実させないといけないと思い、ここ数年いろいろ試行錯誤をしてきました。

「聞く」「話す」「読む」「書く」の4つの柱で指導される国語科の内容につながる基礎をどのように考え、どのようにカリキュラム化するか・・・それが「原言語」の課題です。「考える力を伸ばす」という点から見ると、どうしても数理的な内容が前面に出がちですが、やはり「言語で論理を育てる」といわれるように、国語の力の基礎をしっかりと身につけておかなければなりません。これまで実践してきた「話の内容理解」「お話づくり」「日本語の理解」の3つは当然充実させなくてはなりませんが、その上で「読む力」と「書く力」の基礎をしっかりつくらなければなりません。「読む力」は、聞く力をもとに読解力の基礎をどう身につけるかであるし、「書く力」は、話す力をもとに作文力に高めなければなりません。さて、これをどんな教材を使って系統性のある指導をどう構築していくか・・・特に幼児から小学生に上がる段階の、年長後半の指導をどうすべきかを模索しています。その中でも読解力を高めるために、「聞く」から「読む」への移行をどうすべきかを考えなければなりません。文字が読めるようになれば、読解はできるというほど単純ではありません。「話の内容理解」を解く力は大人よりすぐれており、その「聞く力」をどのように「読む力」につなげていくのか。そこをしっかり組み立ててあげないと、せっかく身についた「聞く力」が生かせません。ではどうすればよいのか。私が今試みているのは、「音読」の重要性をもう一度見直すということです。

入試が終わり、この4月に小学校に入学する子どもたちの就学準備のためのクラスでは、1冊の本を持たせてそれを使って音読させ、その上で内容についていろいろな質問を投げかけます。話の内容理解に慣れた子どもたちは、内容に関する質問に対し、音読したり、読み聞かせをしてもらったりすれば、ほとんど正確に答えられます。いわゆる自分で文章を読み、いくつかの質問に答えを書いていくという従来の読解スタイルに行くまでに、音読を「聞く」から「読む」への橋渡しにすることが、幼児の発達にいちばんあっているのではないかと思います。言葉を交わしながら、質問に答えられた時「そのことはどこに書いてありますか」と聞き返すことによって、文章に戻りながら自分の答えの根拠を探し出すという作業は、子どもたちにとっても楽しい授業のようです。テクニックを使って問題集の読解問題をたくさん解いても、本当に「読む力」は育ちません。本を読むのを楽しみ、それ以上に本を読んで考えることの楽しさに気付けば、読解力は確実に身につくはずです。本来、本を読むことが大好きな子どもたちが国語嫌いになるのは、自由な発想を抑えられ、パターン化した答え方をすれば点が取れるというテクニックのようなものを教えられるからです。そう教えられるほど、本を読むことの魅力は半減してしまいます。本を読むことで世界を広げ、ものの見方を学び、登場人物の想いや感情を受け止め、時には筆者の考え方に触れることで自らを考えるといった作業ができれば、深く読みこなすことは確実にできるはずです。自分自身の過去を振り返り、「なぜ国語が嫌いだったのか」「なぜ国語が好きになったのか」・・・そこには、必ず「どのように読んだか」・・・といった経験が裏付けられているはずです。

国語力の基礎となる「原言語」は、幼児期のさまざまな経験の中にあるように思います。お父さま、お母さまに本を読んでもらうことを毎日楽しみにし、自分で本を読めるようになっても「読み聞かせ」を期待する子どもたち。それは子どもたちの発達に合っているし、またそうした読み聞かせの積み重ねの中に、国語力を培う契機があるように思います。また、最近よく言われる「コミュニケーション能力」は、国語力を支える基礎でありながら、これからの社会の中で最も重要視される能力であるように思います。日本人にとっては、やや欠けている能力であるだけに注目しておかなければなりません。「しゃべらない日本人」を返上しないと、世界で活躍できる場を失っていくことにもなりかねません。海外で講演会を行うといつもそのことを感じます。アジア諸国で講演会を開くと、講演した時間と同じくらい質疑応答の時間を取らなくてはなりません。それに比べ、日本で行う講演会ではほとんど質問は出てきません。なぜなのでしょうか。静かにしていること、話さないことを善とする国民性なのでしょうか。グローバル化が進み、AI時代を生き抜く力のひとつとして、「自己表現する力」は相当高めておかなければなりません。遠山氏が述べた「原言語」の内容は、教材や問題集の中だけにあるのではなく、やはり「聞くこと」と「話すこと」の日常の経験の中にその源があるように思います。

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