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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

「聞く力」が小学校受験でも重視されている

第588号 2017年8月11日(金)
こぐま会代表  久野 泰可

 小学校入学後の国語科につながる幼児期の言語教育はどうあるべきか、これまでも実践を通していろいろ研究してきました。国語科においては、4技能が求められることになり、文部科学省制定の学習指導要領でも、「聞く力」「話す力」「読む力」「書く力」の4つの柱で学習内容が構成されています。しかし、昔から基礎学力が「読み・書き・計算」と言われてきたように、国語科は、「読む」ことと「書く」ことに重点が置かれ、「聞く力」と「話す力」がおろそかになっています。母国語である以上、「聞く」や「話す」ことは自然と身についていくだろうという考えがあったのかもしれません。そのため、系統的な指導はほとんどなされず、幼児期から「どれだけひらがなが書けるか」、「どれだけ本が読めるか」、「どれだけ漢字が読めるか」などのような、すぐに成果が出るものを求めてきたように思います。ですから、幼児期から文字を書くための訓練や、漢字を覚えるための教室までもができているようです。

一方で、日本の子どもたち(あるいは日本人)は、話すことが苦手で、特に論理的に話すことの訓練がなされていないという指摘もあります。そのためか最近の指導要領の目標に、「言語で論理を育てる」といったような表現が見受けられます。海外から帰国してくる子どもたちがこぐま会に入会するケースが増えていますが、そうした子どもたちの様子を見ていると、ともかく日本の子どもたちと比べると「自己表現力」が豊かなように思います。自分を表現できなければ仲間と一緒に活動できないというような雰囲気が、欧米の学校教育にはあるように思います。

10年ほど前に上海を訪問した際、一番はやっていた幼児教室は自己表現力を高めるための教室で、アメリカからメソッドを導入して行っているものでした。集団活動の中で、マイクを握って決められた時間自分の主張を述べたり、みんなの前で率先して歌を歌うトレーニングを積んでいました。将来は学力だけでなく、そうした自己表現力が社会で求められる・・・といったことが、人気の背景にあったのではないかと思います。

最近「非認知能力」のひとつとして「コミュニケーション能力」が必要だといわれています。そこには確かに自己表現力が含まれますが、もうひとつ「聞く力」がどれだけ備わっているかも大事です。人の言うことを理解しないで、自分だけが主張するような形では「コミュニケーション」は成り立ちません。人の話をどこまで聞き理解するかも、大変大事な力です。話すことの前提としての「聞く力」を相当に高めておかなければ、真に「コミュニケーション」能力が高いとは言えません。今、この「話す力」、「聞く力」が、小学校受験においても大変重視されています。従来から「聞く力」は「話の内容理解」、「話す力」は「お話づくり」として行ってきましたが、その方法に新しい要素が加わり始めているようです。

小学校受験は、上級学校の試験と違い、ペーパー問題を自分で読んで解くわけではありません。すべて口頭か、録音音声の問いかけにしたがって問題を解いていくことになります。ですから入試の形態そのものが、「聞く力」がある程度身についていないと対応できないものですし、単純な問いかけならともかく、文章題のようなかなり長い質問になることも珍しくありません。1回の指示をしっかり聞きとり内容を理解できなければ、手もつけられません。最後の決め手が「聞き取る力」といわれる所以はそこです。その上、「話の内容理解」になると、長い話を理解しながら聞かなければなりません。記憶の要素も多分にありますが、内容を理解していないと解けない問題も多く出題されています。

夏季講習会では、毎日必ず1問は「話の内容理解」に充てていますが、最近こんな問題をやってみました。

次の話を聞いて後の問題に答えてください。

サル君、クマ君、ウサギさんが、山にハイキングに行く約束をしました。ウサギさんはみんなと待ち合わせた場所に時間よりも早く着きました。しばらく待っていると、ちょうどの時間にサル君がやって来ました。でもクマ君がやって来ません。クマ君は少し遅れてやって来ました。3匹は山登りの格好をしてきました。クマ君のリュックサックは黄色、帽子は青です。ウサギさんのリュックサックは赤で、帽子は紫です。サル君のリュックサックは水色ですが、帽子を忘れてきたのか、かぶっていません。
さあ、出発です。ドンドン歩いて山を3つも越えました。行きたい山のてっぺんまでは、あともう少しです。でも、そこでクマ君は疲れて歩けなくなってしまいました。3匹は近くの川に降りて、少し休憩することにしました。川には、釣りをしているイヌの親子がいました。3匹がしばらく様子を見ていると、イヌのお父さんが魚を3匹も釣りました。イヌの子どもはザリガニを釣りました。
休憩して元気が出たので、3匹はまた出発しました。山のてっぺんに着くと、さっそくお弁当を出しました。クマ君はおにぎりとリンゴを、ウサギさんはサンドイッチとミカンを持ってきました。サル君はのり巻きを2本持ってきました。でも、果物は持ってきていませんでした。そこで近くの大きなカキの木にカキがいっぱいなっていたので、木に登ってカキを6つ採りました。サル君は、カキをみんなに同じになるように分けてくれました。
お弁当を食べ終わると、少し寒くなってきました。早めに帰ろうということになり、急いで支度をしました。しばらく歩くと、今度はサル君が疲れて歩けなくなってしまったので、また川で休憩することにしました。イヌの親子はまだ釣りをしていました。サル君は、川の水を飲むと元気になりました。そこでウサギさんとクマ君も水を飲みました。とてもおいしい水なので、3匹とも元気いっぱいになりました。
3匹はまた山を3つ越えて、お家に帰って行きました。

問1. 左上のお部屋を見てください。クマ君のリュックサックは何色でしたか。その色でを塗ってください。
問2. 3匹がイヌの親子と会ったのはどの場所ですか。左の上から2番目のお部屋から選んでをつけてください。
問3. 左の上から3番目のお部屋を見てください。イヌのお父さんは魚を何匹釣りましたか。その数だけ魚にをつけてください。
問4. イヌの子どもが釣ったものは何ですか。左下のお部屋から選んでをつけてください。
問5. 右上のお部屋を見てください。3匹が持ってきたお弁当は何でしたか。動物とお弁当を線結びしてください。
問6. 右の上から2番目のお部屋を見てください。サル君はカキの実をいくつ採りましたか。その数だけカキの実にをつけてください。
問7. ハイキングの間、ずっと元気だったのは誰ですか。右の上から3番目のお部屋から選んでをつけてください。
問8. このお話の季節と同じ季節のものを、右下のお部屋から選んでをつけてください。

動物が登場する物語文ですが、あまり飛躍もなく、生活文に近い文章です。自分の経験を重ね合わせることもできる意味で、分かりやすい話です。子どもたちには、録音されたこのお話をまず聞いてもらい、それから8問の問題を解かせます。理解というよりどちらかというと記憶の要素が強いものですが、15人参加の授業で、全問正解者は5名しかいませんでしたので、子どもにとっても難しい問題には代わりありません。では、この同じ問題を大人がやってみたらどうでしょうか。おそらく全問正解者は少ないと思います。どちらかといえば、子どものほうが正解率が高いかもしれません。記憶の問題とはいえ、話の展開を理解し、その中で覚えていかなければ、後の質問には答えられないでしょう。特に問3の、「3匹が持ってきたお弁当は何でしたか?」という問いは、「登場人物との関係付け」といって、「話の内容理解」の中では難しい質問のひとつです。1回の聞き取りで理解しなければならない点が難しいはずです。また問7や問8の問題は、記憶というより、理解がどこまでできているかを問う問題です。

こうした小学校入試で出される「話の内容理解」に関する問題を、以前ある研究会で参加者の皆さまに実際に解いていただきました。大学の教師をはじめ、中学・高校の主に「国語」を担当する先生方でしたが、予想したとおり皆さま苦戦していました。私が見た限り幼児のほうがよく解けていたように思います。この事実を見て、ある大学の先生は、次のようにコメントしていました。

「大人は、メモをしたり、アンダーラインを引いたり、読み返したりして解く方法を身につけてしまったため、聞いて考え、問題を解いていく術が退化してしまっている。しかし幼児は、聞いて判断するしか方法を持ち合わせていないので、こうした聞いて答える問題は、きっと幼児のほうが正解率は高いと思う」

読んだり、書いたりする術を持ち合わせてしまうと、聞いてイメージして判断する術が退化していくということはとても良くわかります。ただ、それでよいのかどうかは、一度考えてみる必要があります。それは、いつから文字を読ませ、いつから文字を書かせるか・・・という問題とつながっているからです。脳科学の研究者の話では、あまり早くから字を読ませ、絵本も自分で読んでしまうようになると、聞いてイメージを広げ考える能力を摘み取ってしまうことになるので、ある時期までは、絵本は自分で読ませるのではなく、お母さんお父さんが読んであげるほうが、脳の発達には大事であるということのようです。普段何気なく行っている「読み聞かせ」の経験がいかに大事かは、こうした話と結びつけるとよく分かります。フラッシュカードのような記憶に訴える課題は、幼児はよくできます。しかし、それができたからといって、必ずしも能力が高いというわけではありません。幼児の能力の特性を利用した教育法に過ぎないことがわかります。

逆に考えれば、いずれ退化していくであろう「聞く力」を育てるのは、幼児期が一番適しているとも言えます。それが、将来のコミュニケーション能力の土台を培い、また、他人の意見を理解して自分の意見を言えるような、「話し合い」ができるようになれば、これからの学校教育が求めている、「教室は議論して理解を深めていく場」として、今の「知識を学ぶ場」からの大転換が可能になるかもしれません。すでにアメリカの学校では、知識の習得は家庭で行い、その上に立って、学校の教室は議論する場だと位置づけています。日本でもそうした大転換ができるかどうか、これからの大きな課題です。

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