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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

過干渉・過保護に陥りやすい受験対策

第519号 2016/2/19(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 昨年11月~12月に行われた、私立・国立附属小学校の問題分析をほぼ終了し、近いうちに「教室指導者からのメッセージ」として公開する予定です。問題分析のみならず、受験した一人一人の1年間の成績推移と実際の合否の関係も分析していく中で、いつもながら感じている「学力だけで合否が決まっていかない」現実に、改めて小学校受験の難しさを感じます。しかし、合格者の視点からの分析だけでなく、不合格者の視点からの分析もしていくと、「なぜ合格できなかったのか」の疑問に答え得る現実も見えてきます。学力だけでは決まらず、行動観察や面接も重視されている中で、各学校の合格者の1年間のテストの平均偏差値を出していくと、やはりある一定以上の学力が必要なことがはっきりと数字になって表れています。それは、ペーパーを重視しているからというのではなく、行動観察や面談での親子の関係を通して、行動面に表れた「学力」として、学校側はしっかり判断しているということがわかります。

行動面に表れた学力ということは、ひとつのものごとに取り組む態度や、処理の仕方を見ていくと、そこに学力が絡んでいるということだと思います。突き詰めていけば、自立した判断・自立した行動として「学力差」が見えてくるのでしょう。それは、教室での行動やものごとへの対処の仕方を見ても、私たちが常に感じていることです。

最近の入試結果を見ると、ひとりの子どもが複数校合格しているのが一つの特徴です。学校向けの対策を十分していなくても合格できるということは、
  1. 学校ごとの問題の特徴が、だんだんなくなってきている
  2. 学校側が好む子ども像が、同じようになってきた
ということでしょうか。

こうした合否の分かれ目を見て行くと、学校側が求める子ども像と全く逆の子育てを家庭での受験対策として行っているのではないかと感じる場合が少なくありません。それと同時に、受験向けに仕上げられた子どもが子育てのお手本かと言えば、逆に子どもたちの伸びる芽を摘み取る結果になっているのではないかとさえ思います。
  1. 家庭における学習面では、子どもの自由な発想を排除し、パターン化した教え込みによって、干渉しすぎになっているのではないか
  2. 厳しい環境で強制され勉強をしているからと、逆に勉強以外の生活面では過保護になっているのではないか
母親主導の教え込みの受験対策では、子ども自身が考え、自分で判断し、行動するチャンスを子どもから奪い取ってしまっています。この点については、一度冷静に振り返ってみる必要があります。私は最近、いろいろなところで、受験を考えていないご家庭の子どもたちを対象とした指導にあたる機会が増えています。そうした子どもたちの中には、自分で考え、自主的な判断をし、自ら行動するという面において、過保護に育ってきた受験生よりも、より積極的ですぐれているのではないかとさえ感じる場面をいくつも見てきました。小学校受験は特別な教育が必要だと考え、恵まれた環境で育っている子が多いため、逆に自主的判断のチャンスを奪っていることがないかどうか・・・一度疑ってみる必要がありそうです。子どもたちの成長にとって、過干渉も過保護も良い結果をもたらすことはありません。入試で学校側が求めているものは、学力だけでなく、非認知能力と言われる、ものごとへの取り組み、自立した行動力などです。そのためにも、もう一度母子関係のあり方を振り返ってみてください。

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