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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

行動観察がますます重視される背景

第489号 2015/7/3(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 だいぶ以前になりますが、ある学校の校長先生とお話しする機会があった時「どうして行動観察をするのですか」とお尋ねしたところ、即座に返ってきた答えは「遊べない子は伸びないんだよ。年長11月の学力なんて信用できない。」というものでした。だから、行動観察を通して、その子の物事に取り組む意欲を見るというのです。しかも、「何かができたかできなかったかという観点では評価しない」とも付け加えていました。

その当時は、その指摘をなにげなく受け止めていましたが、今思うに、この校長先生の考え方がいかに大事か、再認識するようになりました。「5歳までの教育が人の一生を左右する」として、最近話題になっている「ジェームズ・J・ヘックマン教授」の著書を見ると、従来から「学力」と言われてきた、数値化できる「認知能力」だけでなく、これからの時代は「非認知能力」も重要だと述べています。協調性・忍耐力・計画力・表現力・意欲といった、客観的な点数では表せない「非認知能力」が子どもの成長には大事であり、世の中の成功者になっていくというのです。そうした人材を発見し育てようという流れの中で、センター試験の改革や、東大・京大のAO入試導入につながっているのです。

これまで、小学校入試における「行動観察」がなぜ行われてきたのか。客観的に評価できない行動観察をなぜ合否判定に絡ませるのか、と思ってきた関係者が多かったはずです。しかし、「遊べない子は伸びない」と仰った校長先生や、「非認知能力」が大事だと主張する「ヘックマン教授」の考えを踏まえれば、小学校入試は実に意味のある試験方法だということがわかります。その上、「型」にはめ込んだトレーニングは絶対しないでくださいというメッセージを送り始めた小学校側の対応も、実によく理解できます。

しかも、特に重視しているのが物事に取り組む「意欲」だという意見も貴重です。入学後に始まる学習や体験に意欲を持って取り組まなければ、何も身につきません。私はこれまで、小学校に送り出す側の責任として、「受験勉強で学ぶことの楽しさを失ってしまわないように、教え込みの指導をしてはならない」ということを、ことあるたびに主張し、実践してきました。その主張の正しさもあらためて証明できたと思います。

学ぶことの楽しさを幼児期の子どもたちに身につけてもらうには、「事物教育」が一番です。ワークブックのトレーニングだけの学習では、学ぶ楽しさは半減してしまいます。「ものごと」に働きかけ、試行錯誤することの中に、発見する楽しさや喜びがあり、それを踏まえたワークブックの学習ならば、子どもたちは喜んで取り組むはずです。何の経験もない課題をはじめからペーパーのみの学習で行ったらどうなるか、専門家でなくても理解できるはずです。

「できた - できない」の結果ではなく、物事に取り組む姿勢が、将来の学びのレディネスとして大事だと評価されるとしたら、そしてまた、作られた「型」ではなく、子ども本来の物事に取り組む姿勢が評価されるということであるのなら、毎日の生活の中で、そうした気持ちを育てるという姿勢が必要です。教室に通わせて、好ましい「型」を身につけるべきものでは決してありません。

このように考えてくると、今まで不透明であった行動観察試験の意味がよく理解できます。それだけでなく小学校の入試がもしかしたら、これからの時代に一番ふさわしい試験方法になるのではないか・・・と思ったりもします。「学力試験・行動観察・面接試験」といった三本柱で合否を決めていく小学校入試が、上級学校の試験にも形を変えて採用されるかもしれません。それくらい先進的な試験方法であるということをあらためて思います。一点でも多く得点すれば合格できるという「点数主義」・「客観主義」に慣れてきた私たちの発想を変えていかないと、これからの入試改革は理解できないかもしれません。

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