ページ内を移動するためのリンクです
MENU
ここから本文です
週刊こぐま通信
「室長のコラム」

入試が変わる(3) まともな準備教育がなされるように

第484号 2015/5/29(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 1972年に渋谷で始まった幼児教室の立ち上げに関わって以来、43年が経ちました。この間、小学校受験も変遷を繰り返してきました。一番の問題であった、学校側からの情報の未公開ゆえにゆがめられてきた「受験教育」が、いま大きな曲がり角に来ています。ゆがめられた受験教育を批判し始めた学校側からのメッセージによって、これから正しい受験教育が行われれば、受験を目指す子どもや保護者にとってこんなに素晴らしいことはありません。強制された受験勉強から解放されれば、学ぶことに興味を示さない子どもたちは減っていくであろうし、受験が、将来の成長にとって大事な幼児教育の最大の動機づけになっていくからです。

学校側が求める子ども像が、学校側からのメッセージによって次第に明らかになりつつあります。それは、決して特別なものではありません。学校生活のはじまる子どもたちを迎える先生方が、ゆがんだ判断をするはずはありません。学校へ第一歩を踏み入れる子どもたちをどんな想いで迎えるか・・・それを考えれば、詰め込み式の教育では将来伸びないと判断することは、容易に想像できることです。しかし、私が30年以上情報公開をすべきだと訴えてきたにもかかわらず、つい最近まで学校側からのメッセージは何もありませんでした。それどころか、極めて閉鎖的で、学校の様子を把握できない時代が長く続きました。在校生に配る「学校通信」等も、外に出してはならないという禁止令が出たくらいです。しかし、どうでしょう。最近は子どもたちを学校に招き入れるチャンスをたくさんつくったり、保護者に学校の様子を見てもらう機会をできるだけたくさんつくろうと努力しています。また、いまでは学校通信をネットで公開する学校も出てきました。長い間この仕事に携わってきた者からすると大きな変化ですし、好ましい変化だと思います。時代の流れと言えばそれまでですが、私が情報公開を強く求めてきたのは、2年以上にわたって真剣に取り組む受験のための学習が、ただ合格させるための教え込みの学習であったとしたら、こんなに大きな損失はないと考えているからです。やるからにはまともな方法で取り組みたい・・・これが私たちの受験指導の基本です。

私がこの仕事に携わった頃は、幼児教室といえば数えるほどしかありませんでした。しかし今や、首都圏だけでも800教室以上あると言われています。多かれ少なかれ、小学校受験の準備教育を担っていますが、カリキュラムは存在せず、教材も市販のものを使うだけ、専門性も何もない大人が、母親感覚でただ合格することのみを目指して過去問だけをこなしていく・・・こんなやり方で、まともな幼児教育ができるはずはありません。だからこそ、受験を考えない人たちから見れば、自分たちには関係ない「特別な教育」と映るのです。そんなやり方で合格し学校に入学しても、伸びることはないでしょう。最近の学校側から発せられるメッセージは、こうした入学後に伸びない子どもたちが生まれる背景に、受験対策のあり方があると考えているからだと思います。
東大や京大がAO入試を行う根拠には、知識偏重の入試で1点でも多く得点する者から合格させていく従来の入試では、これからの時代を担う人材を育成するには限界がある、ということがあるのだと思います。小学校が主催する塾向けの説明会でも、これからは「知識・技能」だけでなく、「思考力」「判断力」「表現力」が大事だと言っています。これはすなわち、中央教育審議会が述べている、国家の教育目標なのです。この目標を、小学校入試でも大事にしたいという学校側のメッセージは、これからの入試の在り方が変わっていく大事なメッセージだと思います。

思い起こせば、知能テストの問題を入試問題にしていた時代、受験者増に合わせて大量のペーパーを課していた時代、多くの子どもが精神的に不安定になり、心療内科や精神科に駆け込む状況を見た臨床心理の専門家から警告を受け、ペーパーテストをやらなくなった時代、少ない数のペーパーに行動観察をプラスして試験を行ってきたここ10年間、そして、作業して答えを導き出す過程で、思考力・判断力を見ようとする最近の問題・・・このように変化してきた小学校入試の問題は、その時代の教育状況を反映しています。子どもたちの弱い部分、こうありたいと願う学校の想い・・・そうした視点が問題づくりに反映されてきたのです。

小学校受験に関しては、いまでもいろいろなうわさ話が絶えません。その多くが、指導者側から発信されているところが大問題です。

(1) 毎日50枚ぐらいペーパーレーニングをやらないと合格できない
(2) 答えが出れば、どんな方法でやってもかまわない
(3) 数の問題は指を使うのが一番手っ取り早いから、手で足りなければ足の指も使いなさい
(4) 課題画が出たら、教えた通りに描きなさい
(5) 行動観察はお行儀の観察だから、ともかく静かにしていなさい
(6) 行動観察では、リーダーシップを取らないと不利である
(7) 口頭試問は、子も親も答えを頭に刷り込んで臨みなさい
(8) 4歳から過去問をやり、こぐま会の「ひとりでとっくん365日」を、入試までに4周しなさい
(9) 願書受付日の0時の時報とともに学校所在地の本局に出しに行くことによって、人より1秒でも早く出したという努力を学校側にアピールしなさい

こんな類の根拠もないうわさ話で、初めて受験を経験する保護者の皆さまは右往左往しています。テレビドラマで「お受験」を扱ったドラマが時々放映されかなり人気のようですが、そもそも「お受験」という言葉が生まれたのもテレビドラマからです。そこで表現された「カリスマ教師」の指導法と、それに戸惑いながら従う保護者(とくに母親)のイメージが、どこかに強く残っているのでしょう。子どもの運動会で親が必死になるのはわかりますが、同じ感覚で、子どもの受験が親の競争心に拍車をかけてしまっているのです。一歩引いて眺めてみれば本当にばかばかしいことが、当事者になるとわからなくなってしまい、頭の片隅にあのテレビドラマのシーンがこびりついている・・・学校側が求めもしない、強制的な学習が当たり前のように行われる背景には、こうしたテレビの影響もあるのです。

冷静になって考えれば、初等教育を担う先生方が、教え込まれたとおりにしか問題を解けない子、教え込まれたとおりにしか絵を描けない子、教え込まれたとおりにしか受け答えのできない子・・・皆同じような子どもたちに出会ったら、その背景に何があるのかを考えるのは当然です。学校側は、大人が好ましいと考える「型」を身につけた子どもを求めているのではありません。その子らしさ、その家庭らしさを求めているのです。例えば、行動観察はお行儀の試験ではありません。ペーパーテストで測れない「判断力」「表現力」「ものごとに取り組む意欲」を見たいと思っているのです。しかも、完成されたものではなく、これから長く続く学校生活の基礎がしっかり身についているかを見ているのです。「できた - できない」ではなく、これからの学校生活で必要な能力の「レディネス」が身についているかどうかが問われているのです。

入試全体が改革されようとしている今、小学校入試も変わらざるを得ません。点数主義から解放された新しい発想で子どもたちが評価されていくならば、準備のための教育も変わらざるを得ないでしょう。幼児期の基礎教育として、まともな準備教育がなされることを願っています。

PAGE TOP