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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

タブレットは万能か その便利さと引き換えに大事なものが失われていく

第452号 2014/9/19(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 毎年6月に東京ビックサイトで行われる「東京おもちゃショー」にここ数年通っていますが、昨年でしたか、急に幼児向けタブレット商品がたくさん並び、今年はさらに進化し、幼児の学習ツールとしてタブレットが当たり前のようになってきました。私たちが開発してきたペーパー教材をタブレット化した商品として売り出そうという企画も、外部の業者から持ち込まれたことも何回もありました。情報処理をする電子機器の発達で、今やペーパーレス化したタブレットが教科書代わりになっていくような流れができています。しかし、タブレット化がはたして万能なのでしょうか。特に、幼児向け教材として、ワークブックを必要としない流れが加速していくのでしょうか。

幼児期の基礎教育の現場に身を置き、教材開発に関わってきた人間として、今も記憶に残っていて大変驚いたのは、「タッチペン」の開発でした。今では日本でも、主に英語学習のツールとして活躍していますが、私が紹介を受けたのは、日本ではまだ商品化されていない時期に、韓国の業者から持ち込まれた話でした。ペーパーのどこかをペンでタッチすると、しゃべりだしたり質問したりするものでした。その1つのペンで、4カ国語で質問することが可能であることを知って、画期的な商品として驚いたものでした。教材の海外進出を図るにはちょうど良いと検討を始めていた頃、一方でタブレットを使った教材開発の話が持ち込まれ、我々としても、タッチペンよりもタブレットの方がより優れているのではないか・・・という議論になり、次第にタッチペンを使った教材の開発構想は消えて行きました。タッチペンが今日本で、どこまで広まっているのか詳しくわかりませんが、少なくともお隣の韓国ではまだ盛んなようです。この7月に見学に行った韓国の印刷所では、このタッチペンを使う学習教材を大量に印刷していました。タッチペンにしてもタブレットにしてもそれぞれによさがあり、幼児向け学習教材に取り入れれば、効率よく学習できるようにも思いますが、開発費用が莫大であり、簡単に商品化できるものではありません。

開発には大きな壁が立ちはだかっていますが、それは決して費用だけの問題ではありません。これだけたくさんの幼児向けタブレットが開発されると、タブレットの利点だけでなく、逆にタブレットの弱点が議論されるようになってきました。果たして、このペーパーレス化したツールは万能なのかどうか。子どもの教育にとって画期的なツールなのかどうかということです。企画当初から懸念されていたのは、「事物教育」を理念とする我々が、便利さの故にすべての教材をタブレット化した場合、子どもたちの「考える力」を本当に育てることができるのかどうか。たくさんの情報を取り込んで一瞬のうちに子どもに提供することが、はたして教育的なのかどうか。筆記用具も使わないで、指先1本の操作で答えに導くことが、思考力を育てる契機になっていくのかどうか・・・そんな議論をしてきました。例えば、数の問題がペーパーで出された場合、すぐに答えが出なかったら、ペーパーの余白にを描いたり消したりして、解答にたどり着く様子はたくさん見られます。そのを描いたり消したりする中で、子どもは思考を巡らしているのです。また図形分割の問題であれば、線を引いたり消したりしながら、分割をイメージして解答にたどり着きます。ペーパーであれば書き込み可能なこの補助作業が、タブレットでは難しいかもしれません。回転したり、視点を変えてものを見ることはタブレットの優れた機能ですが、それを前もって与えてしまったら、何の学習にもなりません。「四方からの観察」で、反対からの見え方を学習する際、指先1本の操作で向こう側からの見え方にすぐに転換できますが、それは、答え合わせの時に意味があるのであって、最初からそれを可能にしてしまったら、視点を変えるイメージ化は身につきません。

このように、便利さ故に、逆に子どもの考えるチャンスを奪ってしまう結果になりかねません。そうした弱点があることを認識した上で、学習手段の一つとして位置付けて考えれば、タブレットは最強のツールになるはずです。特に繰り返しのトレーニングには最適です。しかし、タブレットが万能であり、それにすべての教育機能を持たせようとすると、逆に考えない子どもを生みだしてしまう結果にもなりかねません。瞬時に情報を与え、リアルに近いものを提供できても、「働きかける」「試行錯誤する」チャンスがなかったら、幼児の認識能力は育ちません。その意味で、便利さ故に大事なものが抜け落ちていく危険が常に存在しています。そのことを承知の上で、どのように活用していくべきか。今後教育現場にたくさん入り込んでいくであろうこの便利なツールを、もう少し冷静な目で見ていかないといけないと思います。そしてだからこそ、「事物教育」「対話教育」の対面授業の意味を、もっともっと考えていかなければなりません。幼児期の子どもの教育にとって大事なのは、見る世界・聞く世界を豊かにする前に、体で感じとる活動、人と関わるチャンスを多く持ち、ものごとに働きかける時間をたくさん用意してあげることだと思います。

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