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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

4・4・4制都立小中高一貫校の報道にふれて

第402号 2013/8/30(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 東京都教育員会の検討委員会は22日、都立の小中高一貫校について、「6・3・3制」ではなく「4・4・4制」のカリキュラムを導入すべきとする中間報告を、都教委の定例会で報告しました。世界で活躍できる理数系の人材育成が目的のようですが、理数系科目だけでなく、英語教育にも重点的に取り組むとしています。こうした新しい試みがなされる背景には、現在の日本の教育に対する共通した危機意識があるようです。

  1. 日本の学生の学力が低下している
  2. 東大・京大といえども、世界の大学の中ではトップクラスに立てない
  3. 大学で何を学び、社会にどう貢献するかという視点より、大学に入りさえすればよいという日本人の考え方自体が、世界の視点から見ると奇異なものである
  4. 従来の使えない英語教育(受験英語)に対する反省
  5. 自分で考え、自分で判断できない新社会人の増加に対する危機意識

9月新学期が議論されたり、東大・京大で推薦入試が検討されたり、また大学の授業を全て英語で行ったりと、大学入試の在り方や大学教育に関する議論が盛んになされています。また、小学校の正課に英語を取り入れる方針が確認されたりと、これからの社会に役立つ人材育成という観点で、さまざまな教育改革が議論されています。今回の東京都の方針もそうした動きと無関係ではありません。現在の教育の在り方を改善していかなければ、世界に後れをとってしまうという危機感があるからです。

しかし、あまりにも唐突な今回の方針に対し、この制度が抱える問題点を指摘する声も多くあがっているようです。

  1. カリキュラムの編成をどうするか。
  2. 12年間のカリキュラムを、小1から小4までの「基礎期」、小5~中2までの「拡充期」、中3から高3までの「発展期」とした場合、発展期を大学受験対策にも充てるため、基礎期の段階で小学校6年までのカリキュラムをこなすというような方針が出たときに、それが可能なのかどうか。
  3. 4・4・4制から一般の6・3・3制の学校に転校する場合、どのように対応できるのか。
  4. 理数系科目や英語教育に力を入れるカリキュラムでは、学力低下が指摘される国語など他の科目へのしわ寄せはないのか。
  5. 12年間一緒の固定した人間関係の学校生活で、問題が起こった時にどう解決するのか。
  6. 小学校入学時に「理数系科目」への興味や関心を見る選抜試験をするというが、はたしてどんな入試内容になるのか。

改革には当然いろいろな問題が生じますから、強い意志を持って取り組めば、問題はおのずから解決していくと思います。しかし日本の場合、「エリート校」の創設に疑問を呈する人たちが大勢いるのも事実です。理数系の人材育成という明確な方針があるにせよ、なぜ都立が私立と同じような一貫教育の受験校を作らなければならないのか、という疑問は出てくるでしょう。最近の私立小中校への受験者減の一つの理由に、都立高が頑張り始めたという事実もあるわけですから、学校経営の立場から私立校からの反発も予想されます。

しかし、アジア諸国で仕事をしている経験や、諸外国の人たちの考えからすれば、エリート校の創設は当たり前のことで、平等主義に慣れてしまった日本人の感覚とは大きなずれがあるように思います。本来ならば国の施策として行わなければならないのに、それが東京都の教育委員会が提案しているところが、極めて日本的な現象です。東大・京大の推薦入試は、暗記主義の日本の受験勉強では育たない人材を求めているようにも思います。国を背負う将来の人材を育てるための日本の教育が、近隣諸国よりも遅れていると感じるのは私だけでしょうか。中国・韓国・ベトナム・バングラデシュの教育関係者と話をしていて気づくことは、日本ののんびりした教育にはあこがれるけれども、そんなにのんびりしていて大丈夫か、と疑問を持っている人たちが大勢いることも事実です。

その端的な表れが、幼児教育に対する取り組みの違いです。どの国も、日本の小学校のように45分刻みの日課が立てられており、小学校と同じような考え方で、幼児期の教育内容が編成されています。日本のように遊びを中心とした自由保育という感覚はどの国にもありません。その意味で、ちゃんと小学校の事を見据えた教育が、保育園や幼稚園でなされているのです。大学教育の改革もさることながら、やはり一番の基礎である「幼児教育」の改革がなされない限り、優秀な人材は育たないと思います。

今回の東京都の小中高一貫教育の考え方には、賛成し期待する者の一人ですが、なぜ、幼小中高の一貫教育という発想が出てこなかったのか・・・ここに幼児教育に対する軽視が端的に表れています。私は少なくとも年中・年長を含めた、一貫教育の必要性を強く感じています。なぜ、「幼児期の教育」が議論の対象にも上がらないのでしょう。ここにこそ、制度改革だけを考えてきた日本の幼児教育行政の誤りが、はっきりと表われています。意図的な教育がすべて「受験教育」だという、日本人の幼児教育に対する発想の貧困さが、こんなところにも表れているのでしょう。私たちが40年間かけて作り上げてきた「基礎教育」のメソッドこそ、幼小一貫教育の議論に耐えうる内容だと確信しています。

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