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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

「総合こども園」構想で懸念されること

第339号 2012/5/18(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 「総合こども園」法案が今国会で審議され、話題になっています。社会保障と税の一体化で、新しい子育て支援策の柱として打ち出している法案ですが、行政との絡みでいろいろ問題があり、待機児童の解消等が期待されているものの、どうもあまり期待できそうにないという意見が多いようです。今回の法案は、待機児童解消の問題だけでなく、地方では、少子化に伴い幼稚園と保育園が併存できなくなっているという現状があり、この2つの課題を同時に解決しようとしていますが、そのことが制度上も複雑でわかりにくくなっています。現在は「幼稚園」と「保育園」に加え、数年前にできた「認定こども園」があり、その認定こども園をモデルに、今ある幼稚園と保育園を「総合こども園」に移行させていこうとする構想のようですが、待機児童の解消だけなら認定こども園を充実させていけばよいものを、より広く、より大きく総合こども園に移行させようとする思惑の中には、「待機児童」問題の解決とは別の「幼保一元化」構想が含まれているのではないかと思います。同じ年齢の子どもでありながら、預ける施設によってそこで行われる「教育内容」が違ったのでは、小学校に入ってから起こる「小1プロブレム」のような問題が形を変えて起こるかもしれないという懸念があります。そうしたことを未然に防ぎ、学校教育にスムーズに繋げるために、「総合こども園」の学校化を目指しているはずです。

「就学年齢の1年引き下げ」、「幼保一元化」、「幼小一貫教育」・「幼小連携教育」など、これまでにもさまざまな改革案が登場したにもかかわらず、一向に解決しないのはなぜでしょうか。それは、制度上の問題、行政上の問題ではなく、一体どんな教育内容を準備するのか・・・その点の議論がないまま進んできた結果だと思います。「遊び保育」に代わる小学校への一貫教育の中身が築かれてこなかったからこそ、制度上のさまざまな議論があったにもかかわらず、山積した問題が解決していないのです。幼児期の基礎教育の中身の検討がないまま制度だけが確立していくと、たぶん、現在の小学校1年生の教育カリキュラムを幼稚園に下ろしたらどうかという話になりがちです。極端なことを言えば、現在の1年生の内容を易しくして下ろし、幼稚園の「学校化」を目指しているのかもしれません。しかし、それでは「読み・書き・計算」に象徴される暗記注入教育が年齢を下げて行われていくだけで、それをもって日本の子どもたちの学力は安心だと宣伝することになるとしたら、とんでもない話です。「総合こども園」に名を借りた、就学年齢の引き下げが実態に即して行われるようになり、今年3月から韓国で実施された「5歳児の義務教育化」構想が日本でも再び議論され始めるのではないかと思います。

私はここ6~7年間ほど、日本や韓国・中国で、幼稚園や保育園の理事長・園長を対象に「幼児期の基礎教育はどうあるべきか」といったテーマで、講演会を開いてきました。国こそ違え、教育現場の責任者は、小学校の教科学習につながる幼児期の基礎教育のあり方を模索し、暗記を主体とした注入教育とは違った、「考える力」を育成する教育プログラムがないかを真剣に考えているようです。日本でも、それまでは「知育」と聞いただけで毛嫌いしてきた園のトップの方々が、意図的な教育活動をしなければならないということで、私たちのメソッドに関心を示してくれるようになりました。30年前とは大きな違いです。そうした地道な活動を通して、今や30近くの幼稚園や保育園で「KUNOメソッド」による教育実践が始まっています。

「総合こども園」法案がどのような決着を見るか予断を許しませんが、法案が成立するかしないかに関係なく、幼児期の教育に小学校へのつながりを意識した教育活動をせざるを得ない状況が出てくるのは確かです。その時、どんな内容がカリキュラムとして準備されるのか、関心を持って見守っていますが、たぶんこれまでの幼小連携等の議論でみられたように、小学校低学年の内容を易しく薄めて指導するだけの内容に落ち着くのではないかと懸念しています。そんなことをすれば、新たな学力差を生む結果になりかねません。そうではなく、私たちが遠山啓氏から学んだように、教科学習を支える「教科前基礎教育」を実現すべきです。そこにこそ、伝統的な「遊び保育」との連携がみられ、子どもたちにとっても、現場の先生方にとっても、混乱なく「学習活動」が進められるはずです。「読み・書き・計算」に象徴される基礎技能の習得とともに、思考力を養成するプログラムが必要です。「考える力」の育成は、幼児期の基礎教育から実践すべきです。その実現のためには、私たちが掲げている「教科前基礎教育」「事物教育」「対話教育」の実践以外にはあり得ないと思います。

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