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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

バングラデシュの学校を訪問して

第334号 2012/4/6(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 3月25日より、バングラデシュ(ダッカ)を訪問し、現地の教育事情を視察してきました。幼稚園から高校まで、2日間にわたり5校の学校を見学しました。今回の訪問の目的は、現在ダッカ市内で行っている提携教室を今後どのように運営していけばよいのかという点と、この国への教育支援の在り方を考えるために、実際に行われている教育の何が問題かを自分の目で確かめてこようと考えたからです。成田を出発してから、乗り継ぎを含め13時間余りで、ダッカに着きました。団塊の世代の私たちにとって「ダッカ」は、強く印象に残っている都市です。1977年、赤軍派による日航機ハイジャック事件の際に、人質を解放した空港であるということは、誰しも記憶に残っているはずです。世界の最貧国であり、商社マンが赴任したくない国の一つであると聞くと、逆にどんな国か興味もわいてくるものです。本来ならば、昨年の3月に訪問する予定でしたが、東日本大震災の影響で1年遅れてしまい、今回の訪問になりました。

聞いてはいたものの、まず驚いたのは、空港からホテルまでの移動中に経験した渋滞のすごさです。夜中とはいえ、車はあふれるように走り、リキシャ・CNG(三輪タクシー)・自家用車・バスと、道路いっぱいに隙間なく埋め尽くされ、常に警笛を鳴らしながら走る様子に、ただ驚くばかりです。ほとんど信号もなく、信号があっても警官がいなければ平気で無視して走る車を見て、事故が起こらないのが不思議に思えるくらいでした。翌日は、人々の生活を知るためにダッカ市内を見学しました。相変わらず渋滞のすごさに驚きながら、ショドル・ガットの船着き場の活況や、市民の台所となるバザールの様子などは、日本人には興味ある風景でした。農業国であるためか、物資は豊富にあり、野菜や魚の種類も日本以上に豊富でした。しかし、鶏やアヒルを生きたまま店に出し、それを料理用に屠殺して消費者に渡すためか、そのエリアは耐えがたい臭いにつつまれ、立ち止まっていることができないほどでした。値段の安さにも驚きましたが、提携教室の先生の月給が日本円にして月20,000円、ガードマンの月給が6,000円と聞くと、なるほどと納得がいきました。

3月27日は、ダッカ市内から車で2~3時間かかるクミッラ市の幼稚園と小中学校を見学しました。地主の方から土地を借り、高校の物理の先生が開校したという幼稚園は、トタン板の屋根と壁で囲まれた狭い教室で、20名以上の幼児が身動きもできないような状態で学習していました。カバンの上に教科書を置いていたので、帰る時間が来たのに我々のために待っていてくれたのかと思い聞いてみると、そうではなく、カバンをかける場所がないので、いつもそのようにして学習しているということでした。日中30度を超す暑さの中で、このトタン板で囲まれた教室の中がどれほど温度が上昇するのか、想像しただけでも大変な環境です。しかし、どんなに狭くても、どんなに暑くても、子どもたちの眼は輝き、一生懸命学習していました。4つほどの教室があり、それぞれ年齢の違う幼児が学習していました。ひとつの教室を見学して帰ろうとしたら、他の教室の子どもたちから、「自分たちの教室も見にきて・・・」といわれ、全学年の授業を見学しました。トタン板で作った黒板なのか、相当へこんだり曲がったりしていても、そんなことにはお構いなく、みんな先生の言葉に集中し、真剣に学習に取り組んでいました。この幼稚園の様子から「遊び保育」などという考え方は物理的にもとても成立するものではないと感じました。近隣の子どもたちが集まってくるのですが、子どもの人数が多く、午前・午後の2交代制で授業を進めているようです。

次に向かった公立の小学校は、鉄筋2階建ての歴史のある学校で、運動場も広くとってあり、外観を見る限り、日本の田舎の小学校とあまり変わらない様子でした。しかし、授業を見学してまたもびっくりしました。ベンガル語の筆順練習をしている小学1年生のクラスで、ひとりの子が、鉛筆ではなく消しゴムで点線をなぞっていたのです。他の子はボールペンやシャープペンのような筆記用具を使っているのに、なぜこの子だけ消しゴムなのか・・・「そうか、筆記用具を忘れたので、そのお仕置きに、今日はやらなくてよいといわれているのか」と思い質問したところ、そうではなく、この子は家にも鉛筆がないということでした。それなら、学校側で何とか貸してあげればよいのに・・・と思ったのですが、そこまで学校は関与しないということのようでした。持っていた鉛筆を貸してあげようと思い担任に相談しても、そちらで判断してください・・・と言われるばかりで、イエスともノーとも言ってもらえず、私の判断で貸すことにしました。もうひとり、前の方で同じようにチョークでなぞっていた子がいたので、「交代で使ってね」とお願いしてその場を去りましたが、こうした状況を見ると、「なんとか支援をしてあげたい」「使い古した鉛筆でもよいから送ってあげたい」と思うのは私だけでしょうか。トタン屋根の幼稚園を見たり、そもそも学習のために必要な筆記用具を持っていない子を目の当たりにすると、日本人はすぐに学校を寄付したり、いろいろな物資を支援したりするようですが、「それでは本当の意味での教育支援にならない」と、現地で活躍している日本人ははっきり言っていました。つまり、学校を寄付して子どもたちを集めても、何をどう教えるかの中味がないところでは、その学校の運営は長続きはしないということです。これまで多くのNGOやNPOの方々が物資を送る等の教育支援をしても長続きしないのは、教育の内容や教材教具の支援がないためのようです。今回、私たちがバングラデシュで教育支援をしようと考えているのは、教育の中身や指導法、また教材や教具を使って指導する先生の育成に私たちの経験を生かそうということです。もちろん、筆記用具や絵本を送ったり、お金を集めて学校を建ててあげることも必要かもしれませんが、今この国の教育指導者たちが求めているのは、そんなものではないということが、話し合いの中ではっきり感じ取ることができました。

次の日、ダッカ市内にある、有名私立校も見学しました。こちらは、比較的恵まれた子が集まるせいか、学習環境は非常に整っていました。しかし、ここでも希望者を収容しきれず、2時間ごとの2交代制で学習活動をしているようです。教科書もいろいろあるようですが、私が見学したこの学校では、イギリスの教科書を使っているようでした。その授業を見学したとき、田舎の学校もこの有名とされる学校も共通しているのは、知識の教え込みの「暗記注入教育」であるということです。子どもたちが自ら考えたり、試行錯誤したりする時間は皆無で、先生の声に合わせて暗唱したり、教え込まれた計算法をそのまま使って問題を解いたりするだけです。これではいけない、もっと思考力を高める教育をしなければいけないということを校長先生はわかっているようでした。校長室で学校運営の責任者の方々と話し合った時、「ともかく日本の優れたプログラムを紹介してくれ、それが有効ならば、教材を含めて導入したい・・・・」ということでした。現場の先生は、教科書に沿って、それをのみ込ませるだけで精いっぱいのようで、自分たちの教授法を疑ったりすることはまずないようです。しかし、学校のトップの方々は、こんな暗記教育ではだめだということをちゃんと見抜いているのです。どこかの国の受験教育と全く同じ「教え込みの教育」では、子どもたちの思考力は育たないということは、バングラデシュの心ある人たちも理解しているのですが、思考力を育てるプログラムがどこを探してもないというのが現状のようです。私たちが、これからこうした発展途上国に対して教育支援をすることに意味があるとすれば、具体的に教授法を伝えることであるということです。例えば幼児期であれば、幼児期における基礎教育の考え方、例えば私が40年かけて作り上げてきた「KUNOメソッド」のような指導法をローカライズして提供することに意味がある・・・ということだけは、確信を持って帰ってきました。





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