ページ内を移動するためのリンクです
MENU
ここから本文です
週刊こぐま通信
「室長のコラム」

学校側の苦悩

第281号 2011/2/18(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 小学校入試を実施する学校側は現在の入試をどうとらえ、どんな課題に直面しているのでしょうか・・・これまで会った多くの関係者や入試問題や合否判定の変化から何が読み取れるのか、そしてそこから私たちは何を学び、どう入試対策に生かすのか・・・少し考えてみようと思います。
ところで、いま学校側が直面している問題として考えられるのは

1. 志願者の減少をどう食い止めるか
2. どんな内容で試験をすれば、学校側が求める子ども、入学後に伸びていく子どもが獲得できるのか
3. 合格辞退者を出さないために何をどうすれば良いのか
4. どんなご家庭を選べば、学校の伝統を保持できるのか

今、学校側はこんな点について、真剣に考え、入試の在り方を検討しているのではないかと思われます。また、1~4の問題は、それぞれ独自な問題でありながら、深いところでつながった問題でもあるように思います。

昨年秋に行われた2011年度の入試は、私立小学校を目指す志願者が相当減りました。受験番号を見ても、また当日の欠席状況を見ても、名目上の倍率が低いだけでなく、実際に受験した生徒も相当減っているように思います。何が原因かははっきり分かりませんが、いろいろな原因が複合した結果だと思います。世の中全体の不景気、国立人気、公立校への再評価などが考えられます。大学が定員割れを起こすような時代ですから、私立小学校も定員割れを起こしてもおかしくありません。そうした危機感を持つ学校は、幼児教室に出向いて学校紹介をしたり、幼児教室責任者を集めて宣伝したり・・・生徒集めに相当力を入れています。私立小学校の責任者が特定の受験塾に出向くなど、昔は考えられなかったことです。それだけ危機感が強いということでしょうか。

さらに問題なのは、入試問題の内容と合否判定の方法です。年長11月の時点での能力よりも、入学後に伸びていく子どもをどう発見するか。そのためにどんな問題を入試問題として課したら良いのか。また、学力だけでなく、物事へのかかわり方、集中力、表現力、人間関係のとり方等が、学力の伸長を支えるレディネスとして重視せざるをえません。それが、行動観察や面接の重視につながっているのでしょう。学校側は、入試の在り方を研究するために、入学後の子どもたちの様子を追跡調査しているはずです。どんな内容と方法で入試を行えば、その学校の求めるご家庭や子どもを獲得できるのか考えているはずです。また、新任の校長先生の考え方も着任2年目以降に反映してきます。そうした背景があるからこそ、同じ学校でありながら年によって問題が大きく変化するのでしょう。幼児の実態をあまり知らない先生方が問題を作るわけですから、手探りでの問題作成になり、その結果、問題の難易度のばらつきや、質問の仕方の不親切さも目立ちます。ですから、まじめに問題を考えれば考えるほど内容が気になり、その結果ある学校で出された問題が、他校に波及することもしばしばあります。雙葉小学校や筑波大学附属小学校の問題が小学校入試において意味を持つのはそうした理由によるものです。以前、ある小学校の校長から、「こぐま会で入試問題を作ってくれないか」と相談を受けたことがありました。その校長は子どものこと、入試のことを真剣に考え、子どもの実際を知らない自分たちが作るより、専門家に任せた方が良いのではないかと考えたようです。しかし私は、そこで特定の関係をつくるのは良くないと考えお断りしましたが、子どもの能力を表すデータはすべてお見せし、こういう問題を出すと正解率がこのくらいになるというお話はさせていただきました。大学が予備校に問題をつくってもらう時代ですから、このようなことがあってもおかしくないとは思いますが、試験の公平性を主張してきた我々にはデータを開示するのが精一杯のお応えでした。

しかし、この校長先生が感じているように、教科書のない入試の問題づくりは大変だと思いますし、また、過去問の解き方を頭から教え込んでいる今の受験塾の実態からすれば、「年長11月の学力は信用できない」と感じるのは当然だと思います。だからこそ、ペーパーテストの結果だけで合否が決まらないし、点数化される客観テスト以外に、行動観察のようなテストに重きが置かれているのでしょう。また、2011年度の入試に見られたように、問題が易しくなっていく背景には、今の受験対策の在り方に警鐘を鳴らしている側面もあるのではないかと考えるべきです。試験が終わったらそれまでの学習が無になるような、そんな受験勉強に莫大な時間とお金を投資しないでください。今、学校側が求めているのは、まともな子育てと、まともな幼児教育です。入試対策用の詰め込み教育がいかに意味がないのかを、学校側は知り始めているのです。入学してから伸びていく能力の基礎をどう身につけているのか・・・それが入試で求め始められているのです。基本に戻りそれを徹底することの大事さを、周りの大人はしっかりと認識すべきです。

また、入試問題をどうするか以上に学校側が苦悩しているのは、「どんな取り方をすれば、学校の伝統を守れるのか」ということです。在校生の雰囲気が学年によって大きく違うということは良くあることです。それは、関係者を重視した入試なのか、実力で取った入試なのか・・・入学年度によって違った取り方をした結果なのです。そうした議論を突き詰めていくと、「ある程度学校の方針を良く知っている関係者を取るのが無難なのではないか」という結論になりがちです。小学校入試がコネの問題と切り離せず、いろいろなうわさが聞こえてくる背景にはこうした問題も絡んでいるのです。また、合格を出したにもかかわらず、辞退されるケースを想定して「補欠合格者」を出すのですが、その補欠合格者の出し方が、学校によってまちまちであることを考えると、この問題には学校側が相当神経を使っていることが分かります。昔は、合格者の番号掲示の横に補欠合格者の番号掲示が必ずありました。補欠番号もついていました。しかし、今はどうでしょう。補欠合格者の番号を掲示しない学校。郵送や電話で「補欠であること」を通知する学校。2次補欠という苦肉の策を取っている学校。補欠の手紙に、補欠番号が記載されていない学校・・・・とさまざまです。なぜこんなに神経をとがらせるのか。それは、補欠合格者の動きがその学校の評価につながっていくのではないかと考えているからです。外部の我々にはわかりませんが、なぜ昔と同じように単純な方法で補欠合格者の情報を出せないのかを考えると、学校側の苦悩がありありと伝わってきます。

志願者の減少が続く私立小学校の入試が、いま大きな曲がり角に来ているといっても過言ではありません。公平な入試と、まともな準備教育がなされることを、当事者の1人として願わずにはいられません。

PAGE TOP