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週刊こぐま通信
「室長のコラム」

なぜ自由遊びが復活してきたのか

第195号 2009/4/24(Fri)
こぐま会代表  久野 泰可

 小学校入試において「行動観察」が重視される背景には、子ども本来の物事に取り組む態度や友だちとのかかわり方を見たいという学校側の思惑があるからです。小学校入試が他の年齢の入試と違って「実力主義だが学力主義ではない」といわれる典型的な課題が「行動観察」ですが、そこで求められている評価の観点は、以前ある校長が話された次の一言に集約されています。

「年長秋のペーパー試験で仮に100点とっても、そのことが入学後の学力を保障することはない。それより、友だちと遊べない子は入学してから学力が伸びないんだよ。」

入学後に始まる教科学習の中で学力が伸びていく子は、決して年長11月のペーパー試験のでき具合だけで判断できる訳ではありません。もっと違う視点からの評価が必要だという考え方が学校側にあるからこそ、行動観察が重視されてきたわけです。最初は限られた女子校だけの試験で行われていた行動観察が、ここ10年ぐらいの間に一挙にほとんどの学校に普及した背景には、こうした学校側の認識があるからでしょう。行動観察の中身は学校によってさまざまですが、最初の頃の自由遊びが次第に変化し、指示行動や共同制作・集団絵画等が多く取り入れられ、準備する側も「行動観察対策」としてさまざまな講座を用意し準備してきました。

その行動観察の内容に、最近少し変化が見られるようになってきました。一時期、隅に追いやられていた「自由遊び」が多くの学校で復活し、行動観察の中心になりつつあるのです。もちろんこれまでも自由遊びが消えていたわけではありませんが、どちらかというと行動観察の中心は、指示行動・共同製作であったわけです。それが「自由遊び」中心になりつつあるのです。これはいったい何を意味するのでしょうか。それは一言でいえば、訓練の対象になってしまった「行動観察」を本来の目的に戻したいという考えが働いているからにほかなりません。その点については、指導する我々も最近の子どもたちの変化を良くない傾向だと見てきました。それは、あまりにも不自然な態度を取る子が目立ち始めているということです。絵の描き方が類似してきたは背景には、型を教える受験絵画の影響がみられ、口頭試問の受け答えには、会話として極めて不自然な言い回しが増えています。つまり、行動観察の対策として塾側がすべての課題を訓練の対象にしてしまい、その結果身につけたものがあまりにも不自然なものになってしまっているのです。

子ども本来の「素」の姿を求めている学校側にとって、行動観察も訓練の対象になってしまった今、その目的を達するためには「自由遊び」が一番良いと考えたのでしょう。訓練されて身につけたものではなく、これまでの成長過程で本当に身に付けたものを遊びを通して見ようとしているのでしょう。子どもの「素」の姿から、どんな育ちをしてきたかを判断したいと考えているのです。

「お名前を教えてください」「私の名前は、小熊太郎です」
「お父さんのお仕事は何ですか」「はい、私のお父さんのお仕事は、お医者さんです」

日本語で面と向かって話している中で、「私の名前は・・・」「私のお父さんのお仕事は・・・」とわざわざ言わなくてもいいでしょう。こうした言い方は、訓練の結果以外にありえません。自然に会話している中で、そうした言い回しをする子は相当目立ちます。こうした受け答えをすることが「受験対策だ」と勘違いしている指導者や保護者の方があまりにも多いことに驚きます。訓練された子どもはいらない・・・それは最近の試験結果を見ればあきらかです。

成長過程における家庭の役割・子育ての考え方を見たい学校側にしてみれば、すべてが訓練の対象になってしまった今の受験対策の在り方を良しとせず、それが「自由遊び」中心の行動観察に変わってきた背景なのではないかと、私は考えています。

子どもたちを受け入れる学校側は、学力にしても行動観察にしても、訓練され形だけを身につけた子どもは将来伸びないということを知っています。「子育ての総決算」として入試を考えているわけですから、家庭でのしつけや家庭での経験を入試でも重視しているはずです。高い月謝を払えば、すべて身につけさせてくれるという発想を捨てなければ、今の受験で合格をいただくことはできません。家庭の役割をもっと前面に押し出し、「教育の外注化」をやめなければ、訓練によって学校側が求めていない子どもにますます仕上がっていくということを知っておくべきです。常識問題が増えている背景もまったく同じことで、知識として理解するのではなく、家庭で実体験し、身につけているかどうかを見ようとしているのです。家庭の役割を見直し、家庭の力をもっと重視しなければ、これからの入試に対応していくことはできません。

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