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週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

小学校受験が、入試改革のモデルになるかもしれない

第44号 2015/7/15(Wed)
こぐま会代表  久野 泰可
 ジェームズ・ヘックマン教授の「5歳までの教育が人の一生を左右する」とする主張は、今後大きな話題になっていくと思いますが、私は、「就学前で重要なのは、IQに代表される認知能力だけではない。忍耐力、協調性、計画力といった非認知能力も重要である」という主張の方が、今後注目を集めるのではないかと思っています。センター試験の改革が模索されたり、東大や京大がAO入試を導入する背景には、このヘックマン教授の考え方があるはずです。すなわち、これまでのように、学力試験で1点でも多く取ったものから順番に合格させていくという入試方法が、これからの時代に必要とされる人材の発見にはつながっていかないという考え方があるはずです。学力がなければ困るけれど、学力だけでは社会に出てからの成功は保証されないということです。例えば、弁護士資格を持っているだけでは、企業法務では使いものにならないということをよく聞きます。他者と協力して一つの仕事をまとめ上げていくような、企画力・協調性・コミュニケーション能力等が備わっていなければ有能な企業人になれないということでしょうか。

もうだいぶ前から話題になっていますが、人工知能の研究者であるマイケル・A・オズボーン准教授らの論文で明らかになったように、米国総雇用者の仕事のうちなんと47%が10~20年後には機械にとって変わられるという予測になっています。そうした時代に必要とされる人材を育成するために、教育の在り方を考え直さなければなりません。そのためには、点数化される「学力」だけの尺度では良い人材は発見できないし、育成もできないということだと思います。

こうしたことが予想されるこれからの時代の入試の在り方が、今、大学入試を筆頭にいろいろ議論されていますが、少なくとも学力試験の点数だけで判断してはまずいという認識は、共有されつつあるのではないかと思います。それが、ヘックマン教授の主張する「非認知能力」も重視する考え方です。しかし、入試の現場でどのように実施するかは、非常に大変なことだと思います。物理的な条件が整わないという以上に、「点数主義」「入試における客観主義」に呪縛された私たちの考え方を乗り越えられるかどうかという点の方が大変だろうと思います。入社試験でも同じことが言えるはずです。企業にとって必要な人材をどう確保するか、人事担当者はさまざまな視点で「人材発見」の方法を編み出しているはずですが、その方法は、おそらく学校の入試よりも先を行っているようにも思います。そうした状況の中で、私が40年以上関わってきた小学校入試の方法が、もしかしたら入試改革のモデルになるのではないかとひそかに感じ始めています。

小学校入試は、各学校によって工夫された形で実施されていますが、「学力試験・行動観察・三者面談」という三本柱で行われるのが基本です。認知能力は学力試験で、また非認知能力は行動観察と面接でチェックされています。「点数主義」に呪縛された私たちは、これまで「行動観察」は主観的に判断されすぎ、「客観さ」が求められる入試にはなじまないのではないかと考えてきましたが、「非認知能力の発見」という風に見方を変えれば、実によくできた試験であるということがいえます。その行動観察は、運動的課題であったり、制作的な課題であったり、ゲームであったりいろいろですが、ともかく集団活動をさせ、そこでの様子が観察されます。「自由遊び」が主流であった時代もありました。そこで何がチェックされるのか、外部の人間には知る由もありませんが、少なくとも何かが「できた - できない」で判断されていることはないはずです。この点については、何人もの校長先生から直接お聞きしましたから、間違いありません。

行動観察では、みんなで相談して一つの課題を解決していく、その過程の個々の動きを見ようとしているはずです。そこで、ヘックマン教授のいう「非認知能力」が評価されていると考えれば、実によくできた試験であるということが言えます。我々が「行動観察」と称している試験の在り方は、年齢によってその内容は変わらざるを得ませんが、ものごとに取り組む意欲や協調性を見るための試験として、実に工夫された試験であり、それこそが入試改革のモデルになるのではないかと考える理由です。自ら考え、判断し、行動する人間を発見するためには、こうした方法を導入するしか手立てはないでしょう。そうした意味で、入試改革は、私たちに価値観の転換を求めているはずです。

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