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週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

大学入試が変われば、公教育も変わるのか

第32号 2015/1/13(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 中央教育審議会は昨年12月22日に、大学入試改革案を下村文部科学大臣に答申しました。従来の大学入試センター試験を廃止し、新たに「大学入学者学力評価テスト(仮)」を導入するとしており、知識の暗記に偏りがちだったセンター試験にくらべ、思考力や判断力も問われる総合的な内容になるようです。マークシート形式に加え、記述式の問題も取り入れていくということです。こうした方針に対し、「理念は素晴らしいけれど、本当に実施できるのか」と実行を疑問視する教育関係者も多いようです。私もその一人ですが、入試そのものの改革が教育内容や教育方法に変化を促し、そのことによって硬直した今の教育のあり方が変革されていくならば、この入試改革は大歓迎です。「大学が変わらなければ今の教育は変わらない」といわれてきました。それだけではなく最高学府の試験内容や方法が変われば、高校の教育が変わり、中学の教育が変わり、その結果小学校の教育内容も変わる・・・そしてその結果として幼児期の教育も変わっていく・・・こんな淡い期待は、夢物語なのでしょうか。

情報化社会の中で、新しい価値を生み出していくために必要な「論理的思考力」は、今のような暗記教育で培うことはできません。試行錯誤しながら問題の解決に至るプロセスを大事にする教育でなければ、「考える力」は身につきません。そのコンセンサスがなければ教科書とノートと黒板があればすべて可能という従来の暗記型、詰め込み教育が改善されることはまずないでしょう。しかし、大学選抜で問われる内容が変われば、もしかしたら教育における大転換がもたらされるかもしれません。本来ならば教育の内容が変わることによって、入試そのものが変わるということでなければならないのに、残念ながらこの国の教育は、入試方法が変わらなければ教育そのものも変われない・・・という構造になっています。東アジアや東南アジアを例にとると、これらの国の人たちは、アメリカやイギリスの大学に入学することを最高の目標にしているため、すべてがグローバルスタンダードであり、自国の大学入試の動きに左右されることはないようです。日本でも、今後アメリカやイギリスの大学に、高校からストレートに入学する学生たちも増えていくでしょうから、勉強の仕方も変わってくるでしょうし、ガラパゴス化した日本の教育に縛られない、世界基準の教育を求めざるを得なくなっていくでしょう。OECDが試験の結果を総括する場合、日本の子どもたちは常に、「応用する力が足りない」といわれてきました。それは、個人の責任というより、学校教育そのものがそうさせていると考えるべきです。計算が早くできれば算数が強い子・・・みたいな考え方が支持されているうちは、この状況は変わらないでしょう。効率よい教育を求めた結果、知識量を問う暗記教育が幅を利かせている以上、「応用力」が身につくはずはないのです。個人の能力の問題にする前に、学校教育のあり方そのものに対して疑問を持たなければ、解決の糸口は見つからないし、ますます世界の動きに遅れをとってしまうことになりかねません。

こうした状況にあるからこそ、大学入試の変革で教育そのものが変わっていけば・・・という期待を持たざるを得ないのです。私が関わっている幼児期の教育にしても、OECDの教育白書等にも見られる通り、日本の幼児教育のあり方を改善すべきという勧告が出ているにもかかわらず、改善の兆しが見えてこないのはなぜでしょう。私は、文科省そのものが、「5歳児の教育を無償化する」といったような制度改革だけに終始し、肝心な教育内容や教育方法の変革を意識していないところが最大の問題だと思います。その結果、「小学校低学年の内容を易しくして幼児期の教育課題にすればよい」、「読み書き計算が一番大事だから幼稚園でそれを徹底すればよい」・・・みたいなことを真面目に言っている様子を見ると、悲しくなってしまいます。

なぜ改革が進まないのか。それは、教育の現場でがんばっている「実践家」を重要な会議のメンバーとして重視していないからです。教育は理念が大事です。しかし、それを実践する現場の声を大事にしていかなければ、子どもたちのいる教育現場が変わるはずはありません。たくさんの有識者会議が設置されていても、現場の最先端でがんばっている実践者がほとんど参加していない現状では、変わりようもありません。

小1プロブレムに象徴される、小学校低学年で起こっているいろいろな問題も、家庭のしつけに全てを押し付けるのではなく、実は小学校に入学してくる子どもたちの、ワクワクした気持ちに、今の教育の内容や方法があまりにもマッチしていない、ということが原因なのです。私が今担当している年中・年長の子どもたちでも、教材や教育方法を工夫すれば、1時間半でも集中力を欠くことなく授業に集中します。体を使い、手を使い、頭を使った教育法を具体物を使った事物教育・対話教育を中心に進めれば、それは可能です。はたして、今の小学校低学年の先生方は、そうした努力をしているのでしょうか。例えば数の教育にして「数字の指導」から入るような授業では、子どものワクワクした気持ちに応えられるわけはありません。折り紙・粘土・パズルといった有効な素材がたくさんあるのに、図形の教育には教科書とノートがあれば十分ということは、図形感覚を育てるというより、図形に関する知識をたくさん教え込む教育で良いと考えているからでしょうか。

大学入試の変革をきっかけに、現在の教育のあり方が反省され、新しい試みが可能になる雰囲気ができてくれば、日本の教育も知識偏重型から脱皮できるのではないかと思います。そして我々が30年以上も主張してきた「考える力教育」が幼児期から実践されていけば、日本の子どもたちの学力は確実にグローバルスタンダードに近づくはずです。新興国にさえ追い抜かれてしまった日本の教育、その中でも特に幼児期の教育が変わることを期待しています。

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