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週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

やはり出てきた「幼児に小1学習内容」報道

第20号 2014/7/15(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 7月12日(土)毎日新聞トップに、「幼児に小1学習内容」と題して、文科省が次期学習指導要領の改定で、現行の小学1年生の学習内容の一部を、幼稚園や保育園での教育・保育内容に移行させる検討を始めるとの報道がありました。幼児教育義務化を見据えた「学制改革」の一環として考えているようで、年内にも「中央教育審議会」に諮問し、制度設計を議論し、早ければ2016年の改定を目指すとしています。小学校への接続を円滑に進める質の高い幼児教育が将来に好影響を及ぼすという研究成果に基づいているとしていますが、その質の高い幼児教育の内容として、小学校1・2年の生活科や、ひらがなの読み・書きの他、算数のたし算・ひき算も検討対象としているようです。

私がこのコラムで警告した通り、小学校の内容を易しく薄めて幼児期の教育課題にするという発想です。しかし、これでは今抱えている問題は何も解決しませんし、かえって複雑な問題を抱え込むことにもなりかねません。何が問題なのか。現場で40年間子どもたちと関わってきた人間として、こうした方針には反対せざるを得ません。そのいくつかの点を箇条書きにしてみます。

  1. 小1プロブレムがなぜ起こっているのか。その分析も十分なされないまま、「集団生活」や長時間座った授業になじめない子どもたちの解決に、小学校との円滑な接続を強調し、現在の幼児教育を見直すとした結果のようです。しかし、「なぜ小1プロブレムが起こるのか」の分析が、大人からの発想しかなく、子どもの立場に立ってなされていません。私が毎日行っている5歳児の教育が90分間も集中してできるのは、その内容が子どもの興味関心にあっていて魅力的であるからです。小1プロブレムの一つの原因は、授業の中味が子どもの興味・関心にあっていないからであり、その改善が優先されるべきです。もしこのままの状態で進めば、新たに「5歳児プロブレム」が起こるだけです。小学校との円滑な接続が、小学校の内容を幼児期に行うことで解決するとだれが判断したのでしょうか。こんな安易な発想では、役人がいかに現場のことを知っていないかをあからさまにするだけです。
  2. 質の高い幼児教育が、読み・書き・計算だとしたら、世界の教育指導者に笑われるだけです。そうしたことを長年やってきた近隣諸国の幼児教育関係者が、事物教育や対話教育を中心とした「KUNOメソッド」を評価している背景には、形を教え込む教育をいかに幼児期に早めてやっても「考える力」は育たないという考え方があるからです。
  3. 現行の小1の算数は、「数字」から指導が始まっていて、最初から抽象の世界に子どもを引き入れ、そこで数の操作をさせて、四則演算を早く行えることを求めています。しかし、今世界で求められているのは、論理的思考力の育成であり、決して計算が早くできればよいということではありません。算数脳を鍛えるということはつまり、論理数学的思考力を育てることであり、数字から導入される今の小学校の指導内容は、子どもにとっても魅力的でないし、算数=計算ということを幼児期のうちからたたき込むことになってしまいます。質の高い幼児教育の内容が、「ひらがなの読み・書き」「計算力を高める」ということになれば、日本の幼児教育が世界の笑いものになるだけです。遠山啓氏が提言した「原数学」とは何か。あるいはまた「原教科」とは何かを真剣に考えるべきです。
  4. 教育の現場で長い間苦労し、子どもにとって大切なものは何かを考え続けている人たちの意見を聞こうとせず、現場のことを何も知らない専門家と称する人たちの考えで、大事な教育の中味が決まっていくという、旧来の教育行政の在り方を変えて行かない限り、新しい発想の幼児教育は生まれません。子ども不在の教育内容の改定は、新たな矛盾を作り出すだけです。もっと現場がわかる人たちを「審議会」に入れて議論すべきです。
  5. 幼児教育の改革に一番必要なのは、子どもに接する教師の人材育成です。もし仮に、現行の小1の内容をやるだけであれば、教え込みの教育が助長されるだけです。子どもの発達をしっかり理解し、一人一人の子どもたちの動きを受け止め、発達を引き上げる授業とは、決して教え込みの教育ではありません。安易に授業ができる「読み・書き・計算」を主流にしようとする背景には、教師の育成が間に合わないために、安直な内容でやろうという思惑があるのではないかと疑ってみたくなります。形を教え込む教育は、実は教える教師にとって、一番楽な授業であるということを知っておくべきです。
  6. 「読み・書き・計算」を行うことがいけないと言っているわけではありません。むしろ、積極的に行うべきです。しかし、その前に行うべき大事な教育があるということ、つまり、「考える力を育てる教育」をどう組み立てるのかの議論があるべきです。また、読み・書き・計算の指導法も、子どもたちの生活や遊びと切り離した抽象の世界でやってはいけないということです。読み・書き・計算を支える「考える力」をどう育てるかを議論の中心にしなければ、教え込みの教育がより早い時期から行われることになり、その結果、今まで以上に深刻な問題に直面せざるをえなくなると警告しているのです。

これまで幾度となく主張してきたことを箇条書きにしただけですが、私が現場で一番危惧していたことが、これから国の政策として行われていくことを思うと、とても暗い気持になってしまいます。だからこそ今声を大にして、その間違いを指摘しておかなければなりません。これから数年間、この国の間違った政策と向き合っていかなければならないと思うと、まだまだ現場から身を引くわけにはいきません。実践者として間違いを糺していくことが、40年間も現場にこだわり続けてきた私の責任でもあると考えているからです。

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