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週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

「聞く・話す」力の育成をもっと大切に

第13号 2014/4/15(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 「読み・書き・計算」に象徴される基礎学力のうち、読み・書きは、国語科につながる課題です。文科省の指導要領では、国語科には4つの柱が設けられています。すなわち、「聞く力」「話す力」「読む力」「書く力」です。しかし、「読み・書き」が強調されるあまり、「聞く・話す」がどこかにかすんでしまう結果になっています。実は、日本のこれまでの英語教育も全く同じ過ちを犯してきました。読むことと書くことが中心の受験英語の結果、10年間も英語教育を受けながら、英語で会話できない大人をどれだけ多く作りだしてきたことでしょうか。日本語でも同じ現象が起きています。形にしやすい言語教育が「読む」「書く」中心であることから、「聞く」「話す」力の育成がどこかに置き去りにされてきてしまっています。しかし、国語教育の将来を考えれば、幼児期にこそ「聞く力」「話す力」の育成を重視しなければなりません。

日本人であれば、母国語である日本語においては、「聞く」「話す」力を、わざわざ教育課題にしなくても自然に身につく・・・と考えられているのかもしれません。しかし、具体的な学習場面において、あるものごとが理解できるかできないかの差は、「聞く力」がどれだけあるかということと無関係ではありません。音としてのことばの理解ではなく、内容をしっかり理解しているかどうかは、具体的な学習場面でひとつひとつ見ていくしかありません。「聞く力」は、ただ聞いているかどうかではなく、聞いて理解しているかどうかが問題です。例えば、数の学習において「どちらがいくつ多いですか」が分かっても、同じ場面を「どちらがいくつ少ないですか」と聞かれると分からなかったり、また、「ちがいはいくつですか」と聞かれた時、何を答えれば良いのかが分からない子どももたくさんいます。言葉は概念を表します。その言葉の意味が分からなければ、答えることができません。

同じように、「話す力」の育成も、単に会話できるからよいのではなく、自分の考えを相手に分かりやすいようにどう伝えるかということが問題です。特に幼児の場合、なぜそのように考えたか、そのプロセスを言葉で表現することはとても難しいことです。結論は言うけれども、その根拠を説明できない子ども、自分がこうしたいという意思は伝えるけれど、「なぜ」の質問に答えられない子どもがたくさん見られます。私たちが「対話教育」を重視してきたのは、この「聞く」「話す」力の育成をどんな領域の学習においても実践したいと考えてきたからです。国語はすべての教科の土台と言われるように、母国語の教育は、国語科の占有物ではありません。特に幼児期は、体験を通して言葉を身につけていく時期ですから、どんな学習領域においても重視すべきです。未測量の学習をしている時も、位置表象の学習をしている時も、常に「どのように言い表すか」を学習課題にしています。先ほど述べた「多い - 少ない」は、数の領域における一対一対応の学習場面でのことですが、表現の仕方によって分かることと分からないことがあるという・・・こうした感覚で子どもの教育にあたることが大事です。また、「聞く・話す」を重視した言語教育は、事物を使った教育において、初めて実現できるものです。ペーパーのみの教育では、プロセスよりも結果が重視されるため、問題を解く過程において必要な「なぜ、そう考えたのか」のやりとりが、省かれてしまいがちです。正解なのか、間違えているのかだけが問題で、どう考えたのかが問われません。

自分の想いや考えを、言葉を通して相手に伝えるという訓練を幼児期にしないで、読み・書きに特化した教育を先行させてしまう危険が常に存在しています。「読み・書き」の前に、「聞く・話す」が重視される教育をしていかないと、今、世界中で課題になっている「コミュニケーション能力」や「表現力」を高める教育にはつながっていかないでしょう。形を重視した教育が言語教育に持ち込まれると、「聞く」「話す」が軽視されていく結果になってしまいます。英語教育も大事ですが、その前にまず母国語の教育において、「論理を育てる」教育がきちんと実践されていかなくてはなりません。

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