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週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

教科前基礎教育という考え方

第12号 2014/4/1(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 幼児期の教育に対する関心が高まる一方で、その内容が「読み・書き・計算を早いうちからやればよい」という意見が圧倒的に多くなるとすると、幼児期の大事な教育課題が隠ぺいされてしまうことにもなりかねません。この議論は、英語力を高めるために英語のシャワーでたくさんの単語を覚えさせる教育方法が良いのかどうかという議論とどこか似ています。幼児期の教育は、目に見える基礎技能ではなく、それを支える「考える力」を育てなければなりません。今小学校で問題になっている、「計算はできるけれど、文章題になるとできない」という現実を、幼児のうちから大量に生み出す危険性をはらんでいます。

  1. 「文字の読み書き」ができることだけで、「国語の力で、論理を育てる」ことにはなりません
  2. 計算ができることと、数学的思考を育てることとは全く別問題です

ここに、幼児期の基礎教育をどうするかの議論の焦点があるはずなのに、「読み・書き・計算をやればいいんだ」という意見が前面に出ることによって、そうした大事な議論を避けてしまうことになりかねません。今、世界各国で議論されていることは、まさしく「幼児期のうちから考える力をどう育てるか」に集中しているはずなのに、そうした議論に後れをとってしまうことにもなりかねません。私が作り上げた「KUNOメソッド」が、たくさんの国の人々に評価されているのは、「事物に働きかけることによって、考える力を育てる」カリキュラムになっているからにほかなりません。決して幼児の早い段階から、「読み・書き・計算」を教えるプログラムではありません。

文字の読み書きができる、計算ができる、といった目に見える学力だけでなく、目に見えない、ものごとを論理的に考える力を幼児期のうちから育てていかなければなりません。それが今、幼児教育の内容を考える大事な視点であるにもかかわらず、そうした議論が沸き起こってこないのは、これまで「知育」を軽視してきた日本の幼児教育の歴史が背景にあるのかもしれません。また、アジア諸国で当たり前のように議論されている、「効果的な教育投資をどの段階ですべきか」という議論も、ガラパゴス化した日本の教育風土の中では、無理なのかもしれません。

私たちが指導理念の最初に掲げている「教科前基礎教育」という考え方は、読み・書き・計算を含め、小学校以降の教科学習で行う内容を易しくして、幼児期の子どもたちに指導するという考え方ではありません。教科学習で必要となる概念や思考法を、幼児期のうちからしっかり身につけておくべきだという考え方です。そのために6つの学習領域を設定し、子どもたちの生活や遊びを素材にしながら、従来の教科学習とは全く違った方法、すなわち「事物教育」を徹底してきました。6つの学習領域は、将来の教科学習へのつながりを考え、算数科の基礎となる「未測量」「位置表象」「数」「図形」の4領域、国語科の基礎は「言語」、生活科(昔の理科・社会)の基礎は「生活」として、その内容を積み上げてきました。幼児の発達段階に即して無理がないよう、具体から抽象へ、基礎から応用へとらせん型カリキュラムを組み、年間の授業計画を立ててきました。そこで学ぶ内容は、「読み・書き・計算」で示されるほど薄っぺらなものではありません。数概念や思考法を育てるために、未測量で「量の学習」を設け、図形教育で必要とされる空間認識を「位置表象」の領域で育てます。また、言語の領域は、「読み・書き」の前に、「話す・聞く」を重視した内容になっています。

「読み・書き・計算」を否定するものではありません。読み・書き・計算が本当に力を発揮する、その土台をしっかりと作っておくのが基礎教育の課題であると考えています。基礎的な技能だからといって、「読み・書き・計算」が先行する幼児教育では、「考える力」は決して育たないことだけは、間違いありません。

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