ページ内を移動するためのリンクです
MENU
ここから本文です
週刊こぐま通信
「知育を軽視する日本の幼児教育が危ない」

「読み・書き・計算」の前にすべきことがある

第11号 2014/3/25(Tue)
こぐま会代表  久野 泰可
 3月3日(月)朝日新聞夕刊に、「学習塾が保育ビジネス」「読み書き計算 就学前も」「保護者のニーズ高く」という見出しの記事が掲載されていました。「定期的に教材の届く通信教育」に対するニーズが高く、ある調査では、「小学校入学までに読み書きができるようにしている」と答えたのは、年長児の親で84.8%に達しているということです。そのことが、学習塾が保育ビジネスに参入するのを後押ししているというのです。また、就学前でも子どもに読み書きや計算、英語をある程度身につけさせたいという意識が、都心の所得が高い親に見られ、保育園等に教育を「外注」したいという意識が働きやすいというのです。この現実に偽りはないでしょう。しかし、通信教材にどれだけの人が満足しているのでしょうか。また、「読み・書き・計算」が学力の基礎とはいえ、今まで小学校の低学年で扱っていたものを幼児期に下ろして行おうとすれば、新たな学力差が生まれ、今以上に低学年の学力問題が表面化するでしょう。

40年間、「幼児期の基礎教育」の内容を確立するために実践を通して研究してきた私にとって、読み・書き・計算を前面に出し、それを就学前に行おうという方針は最悪の事態です。それは、以下の理由によるものです。

  1. 読み・書き・計算そのものを行うことがまずいのではなく、それが幼児期の教育課題の前面に出てくると、「考える力」を育てる大事な基礎教育が置き去りにされてしまう。
  2. 今、世界の動きは、読み・書き・計算を幼児期の課題にするのではなく、「考える力」や「コミュニケーション能力」「表現力」をどう育てるかに集中しているはずである。今再び「暗記主義」の教育が幼児のうちから始まれば、世界の動きと全く逆の方向を向いてしまうことになる。
  3. 計算ができれば「数概念」がわかったと理解してしまい、ひらがなや漢字の読み書きができれば「国語力」がついたと錯覚してしまう人が大量に生まれることになる。
  4. 日本の子どもの英語力をどう高めるかという問題が模索されているが、今のままでは、単語をたくさん覚えればそれが「英語教育」だと勘違いされてしまう。今、英語教育が抱えている問題は、使える英語、コミュニケーションの手段としての英語、自分の考えを表現できる英語であり、決して「英語のシャワー」を浴びて育つ能力ではない。

女性の社会進出に伴って深刻さを増す、待機児童問題。その問題を解決するために、保育ビジネスに異業種が参入している現状は驚くばかりです。他と差別化するために、教育効果を狙ったさまざまな試みが今後なされていくはずですが、一番根幹となる「教科学習」へのスムーズな移行を考えた時、読み・書き・計算が早期から導入されることの危険性をしっかり認識しておかなければなりません。遠山啓氏が主張したように、幼児期の基礎教育は「教科学習の土台づくり」をすることが必要であり、読み・書き・計算に象徴される機械的なトレーニングをするのではなく、「原教科」の中味が何かを明確にし、概念や思考法を学び、「考える力」を育てることこそを幼児期の教育課題にすべきです。

待機児童を解決する問題に端を発し、「幼保一元化」の問題や、「就学年齢の1年引き下げ」問題を含めて、いま静かな幼児教育ブームであるように思います。単に、制度上の問題だけの議論に終わらないで、同じ日本に生まれた子どもたちが、どんな施設に通おうと、等しく受けられる教育の中味をこそもっと議論すべきです。薄っぺらな議論の上に、読み・書き・計算の習得こそ幼児期の課題だと言われてしまうと、英語教育がアジアの中で最低ランクに位置するように、幼児期の基礎教育においても、アジア諸国から置き去りにされてしまう危険性があります。それは、多くの国で講演し、専門家と意見交換してきた経験から肌で感じています。教育がビジネスの論理でゆがんでいかないよう、幼児教育に新しい風を吹き込まなければいけません。そのために、読み・書き・計算の前にすべき大事なことがたくさんあるということを、関係者はしっかりと認識しておくべきです。

PAGE TOP