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週刊こぐま通信
「行動観察だより」

「自由あそび」 - 年長児としての自覚 -

第16回 2013/4/16(Tue)
こぐま会 廣瀬 亜利子
 春季講習会、春休みと続き、しばらくご無沙汰してしまいました。2週間ぶりの更新となります。

4月9日水曜日からまたクラスが再開しました。そして入試まで、あと残り半年となりました。この先はご両親方にとっては園の行事の合間に学校説明会、願書対策、週末の遊び時間確保などなど、日常の諸々の事や家庭学習に加え、次々にやらなくてはいけないことに追われ、飛ぶように時間が過ぎていくことでしょう。一方、子どもたちにとっては、今まで以上に目に見えてどんどん成長し変化していく時期です。

2週間ぶりに会った子どもたちはすっかり年長児としての自覚を持った「おねえさん」の顔をしていました。子どもたちは口々に得意顔で話してくれました :
「年少の子たちが入ってきたの!」
「かわいいでしょ?」
「すごくかわいい! どこにお手洗いがあるとか、ブランコはここだよとか、教えてあげたの。」
「すごいわね! おねえちゃまね~。ついこの前会ったときとみんな全然ちがうお顔してるわね。おねえちゃまのお顔ね~。」
「うん!私たちはもう年長だから!いちばんおねえさんだから。」
「そうよね。みんなも年少さんだったときのこと思い出した?年長のおねえさまたちが優しくいろいろ教えてくれたでしょ?」
「あんな小さいときのことなんか覚えてないよ。」
「そうよね。 それにしても、ほんのちょっとの間にみんなすっかりおねえちゃまに変身してしまって先生もびっくり!」
満足そうにニコニコ笑顔の子どもたち!

この日のテーマは、4回毎に行う「自由あそび」でした。
今回は、つみ木、おままごと、ボーリング、ボール投げゲーム、絵本の5つのコーナーを用意しました。お約束はいつもと同じで、「走らない」「大声を出さない」「危ないことをしない」、最近は、ここまでは子どもたちが全員で口をそろえて私より先に言ってくれます。そしてさらに私が「だけどもっと守ってほしいお約束は何か覚えている?」と問いかけると、数秒間の沈黙の後、誰かが思い出しました : 「楽しく遊ぶ!」
「その通りです! では4つのお約束を守って好きなところで自由に楽しく遊びましょう。」という私の声がけで、子どもたちは迷うことなくそれぞれにサッと散っていきました。そしてこの日も各コーナーで色とりどりのドラマが展開されました。ちなみに、絵本コーナーはあまり人気がないようでした :

つみ木コーナーでは、4~5人の子たちが、初めのうちは会話もほとんどなく、黙々とそれぞれ真ん中の場にせっせとつみ木を並べたり積んだりしていました。お互いの行為を咎めることもなければ評価することもなく、ただ淡々と無言で「何かわからないけど何か」を作っていました。そのうち1人の子が、突然みんなに向かって言いました :
「黙ってるの、つまらないよ。何作ってるのかわからないし。みんなで何か作ろうよ。」
この声がけがきっかけとなったようで、そこから会話が始まりました :
「じゃあ、これ何作ってるってことにする?学校?」
「お城は?」
「教会もいいんじゃない?」
「教会はいやだ! お城にしない?」
「いいよ~。」
「じゃあ、お城の塔の高いところ作らなくちゃね。」
「そうだね。」
「そう~っと置かないとあぶないよ。落ちてこないようにそっとね。」
「あと1個ぐらい大丈夫かな?」
「気をつけて。」 ・・・

というように自然な形で会話が生まれ、穏やかに言葉を交わしながら、お互いに協力し合って、しっかりとチームワークをとることができました。またこのグループの中に、いつもこういうとき皆のそばにいながらも、なかなか中に入れず傍観している子がいるのですが、その子がいつもと違うことに私は気づきました。しばらくはいつものように様子を見ていましたが、少しずつ自然に会話に引き込まれていったようで、「関わろう」「参加しよう」という意志を、その表情からはっきり感じ取ることができたのです。そして、とうとう「これ乗せる?」と小さい声で一言でしたが、発言もできたのです!
たった一言とはいえ、あの会話の流れの中に途中から口をはさむことは容易ではなかったはずです。でもその子は言えたのです!大いに評価すべきことだと思いました。今回のような、「一言でも発言できた」という経験を少しずつ少しずつ積み上げていけば、いつか必ず「自信」につながることでしょう。そのときが、もうそう遠くないように感じます。これからも黙って見守っていきたいです。

ボール投げコーナーもとても楽しそうに賑わっていました。
初めのうちは、ただ何となく順番が回ってくると適当に投げていたようでしたが、そのうち1人の子の提案で、ゲームに発展しました。もともとこのコーナーは、吊るしてあるフープの中にボールを投げ入れるという遊び場ですが、そこに「点数」のルールを付け加えたようでした。どういうときに30点だったり10点だったりするのか、そこのところは今一つよくわかりませんでしたが、子どもたち同士は納得し合っていたようで、大変盛り上がっていました。

おままごとコーナーでは、7人ぐらいの子どもたちが「お家ごっこ」を始めました。どうやらお母さん役とおねえちゃん役限定のようでした :
「スープ作りましょうかね。」
「じゃあ、私手伝うわ。野菜を炒めるから。」
「私はサラダを作る。」
「あなたは洗い物してくれる?」
「わかった。」
「洗い物がたくさんだし、お料理ずっとやっていると何だか本当に疲れるわね。」
「じゃあ、私がコーヒーを入れてあげるわ。」
「私はおやつのケーキを買ってくるから。」
「ありがとう。」
「でもちょっと散らかりすぎじゃない?少し片付けなくちゃね。」
「疲れているから片付けるのは面倒くさいよ~。とりあえずコーヒー飲まない?」
「そうね。そうしないと落ち着かないわ。」
「はい、コーヒーどうぞ。」
「早く飲まないと冷めますよ~。」
「あ~、ゆっくり休んだらまた元気が出てきたわ。」
「じゃあ、また洗い物頑張ろうか。」
「しっかりていねいに洗ってよ。」
「ねえ、赤ちゃん泣いたらどうすればいい?」
「泣きやむから、そのうち。気にしなくていいんじゃない?」
「ふ~ん、わかった。」
「電話かかってきたんだけど、お客さんが家に来るらしいよ。」
「じゃあ買い物行ってくる。」
「ダイコンとブロッコリーとトマトは絶対に必要だから。」
「なんでダイコンが必要なのよ?」
「ダイコンはいろいろなお料理に使えるの。」
「そうなんだ。」 ・・・

こういう調子で会話がポンポンとリズミカルにはずみ、話はどんどん発展していきました。会話を聞いている限りにおいては、ストーリーに一貫性があるような、ないような、しかしそんなことは全然気にならないぐらい、とにかく会話の内容がおもしろくて、前回同様、かなり楽しませてもらいました。
配役も、誰がお母さん役なのか、おねえさん役なのか聞いているだけではよくわからなかったのですが、様子を見ていると、確かにおかあさん役の子が1人いて、それ以外の子たちはおねえさん役という意識を各自持って参加していたようです。
ちょっと前までは、事前にそれぞれ役を決めたとしても、おままごとが始まると必ずしも決めた通りではなく、いつの間にかおかあさんが3人ぐらいに増えていたり、全員おねえちゃんだった、などということがむしろ普通でした。それが、今回はちゃんと自分の役を守って、その立場に立った発言ができていとことに、子どもたちの成長を感じました。それだけではなく、全員が会話に参加していたこと、受け身の子が1人もいなかったこと、そして何よりも、他人の発言にそれぞれがしっかり反応し応答できたことに、本当に大きな成長を感じました。

ボーリングでは5人の子どもたちが楽しそうにゲームしていました。投げる順番はジャンケンではなく、お互い譲り合って決まったようでした。そして。その中の1人の子どもの姿が私の目に飛び込んできました。
その子は自ら一番後ろに並ぶことを望みました。そして先頭の子が投げると、さっとピンのところまで走って行き、倒れたピンをすべて並べ直してあげました。その子は列の後ろには戻らず2番目、3番目、4番目の子が投げるたびにピンのそばで見守りながら「がんばって!」と声援を送っていました。たくさん倒れると「すごい!」、失敗してしまうと「もう一度やってみて。今度はきっとうまくいくから。頑張って。」と励ましのことばをかけていました。そして毎回倒れたピンをサッと直す、それをずっと繰り返していました。「他人のために尽くす。他人の喜びも悲しみも共に分かち合う」というキリストの教えそのものを見ているようでした。この子どもは、私と出会った数か月前は、お友だちとの関わりにおいて消極的な面が多少見られましたが、最近ではすっかり変わり、積極的に、しかも思いやりの気持ちを持ってお友だちと関わることができるようになってきました。

このように、今回もそれぞれのコーナーで、子どもたちが夢中になって遊ぶ姿を見ることができました。もちろんここにご紹介したことがすべてではありません。たとえば、あるコーナーでは2~3人の子どもが口論を始めた場面も見られました。「何とかしてくれない?」と助けを求めて私のところにやって来たので、「先生はそこにいなかったし、いつも先生があなたたちと一緒について行けるわけじゃないんだから。自分たちの力で解決しなくちゃ。できるから、きっと。」私にそう言われて「え~?・・・何で助けてくれないの?」という顔をしながら元の場所に渋々戻って行きました。しかし、しばらくして様子を見に行くと、いつの間にか解決できたようでした。やっぱり子ども自身から湧き出てくる力はすごい!と改めて思いました。

子どもたちは、4月になって各幼稚園、保育園に年少児たちが入園してきたことで、「守ってあげなければならない」「年長のおねえさんとして頑張ろう」と強く自覚しているようです。守ってあげなければならない存在ができたことで、全く無条件にその立場に立ってものごとを考えたり、ちょっとだけ何かを我慢できるようになったり、「お先にどうぞ」と譲ることもできるようになったり、相手の言動にもしっかり耳を傾ることができるようになっていくのだと思います。しかも、これらはすべて私たち大人が「そうしなさい」と指示してできることではなく、子どもたち自身から自然に湧き出てくる気持ちなのです。そしてこの気持ちの芽生えは、元来すべての子どもに均等に備わったものだと思います。表面に出てくるタイミングはその子その子でそれぞれですが、大人の私たちはぜひ「芽生えを信じて待つ」姿勢を持って子どもたちと接するべきだと思います。
また、子どもが友だちとの間で何かトラブルに巻き込まれたとき、喧嘩になったとき、自分たちで解決する力があるということを本人に気づかせ、励まし、あとは黙って見守る、この姿勢が大事だと思います。子育てにおいて、ときには「沈黙の教育」も必要なのです。大人が口を出し過ぎることで、子どもの成長の芽を摘むことになりかねません。

教室においても、ほんのちょっとした些細な変化も絶対に見逃すことのないよう、今まで以上にしっかりと、そして暖かく、子どもたちを見守り続けていきたいと思います。

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